目下ヒダリ向き

毎日の事、仕事の事、いろいろ書きたい

私と文章について本気出して考えてみた

大した本気は出ません、ヒダリです。

某高圧洗浄機のCMを眺めながら、どうしたらこんなに汚せるんだと疑問に思う日々を続けています。

 

私という人間は、非常にふわふわしている。

自分の長所短所はふんわりと把握できているものの、子供時代から人の顔色を窺う癖がついてしまっているせいで、自己表現に乏しい。なんて小難しい事を考えているわけではなく、自分がどうしたいのか、それを貫き通す胆力が無い。プレッシャーに弱い。

アラサーを飛び越えた今でも実家時代の事を思い出すので、浄化されるかはわからないけどぼそっと吐き出してみる。

 

生まれは違うが、某映画の題材にもなっている埼玉県で私は育った。ちなみに本当に何もない。畑。延々茶畑が続き、その先にごつごつと山がある。映画を見る時は新所沢のパルコ。他に映画館はほぼなかったから、そこで上映されていない映画はあきらめるしかない。

父親はいないし顔も知らない。母は私を一人で介護職を続けて育て上げてくれた。とても感謝しているし、尊敬もしている。

子供というのは、無条件に親が全てだと思う。親が自分の世界のトップ。CEO。クビ宣告されたら生きてはいけない。私はそれが25年間続いた。

私の母親は20の時に私を生んで、娘の私が言うのもアレだが若くて綺麗で、授業参観で皆がざわめく度ひっそりと誇りに思った。だけど、割と頻繁に理不尽の嵐が吹き荒れる。

考えても見てほしい。小学校低学年の子に、「洋服ダンスに入れる防虫剤を買ってきて」とだけ伝えて、匂い付きかそうじゃないかがわかるだろうか。私はまんまと匂い付きの物を買ってしまい、大層怒られた。匂い付きなんてアンタ嫌じゃないの!?と言われたのを思い出す度、やはり理不尽だったなぁと今でも思う。余談だが、私はあの防虫剤の匂い、嫌いではない。

世間で話題になるようないわゆる強烈な毒親では無かったと思うし、私も母へは大層迷惑をかけた。若い頃クレカでやらかした事もある(今は自分で完済済)。けど、そういった小さな毒を私はいまだに思い出す。

母は、良くも悪くも「常識」に縛られた人だった。「普通」じゃない事は理解できないし、高校卒業後V系やゴス服にハマった私を「気持ち悪い」と言っていたし、テレビなんかで流れる同性愛に関しても平気で「気持ち悪い」と言う。だって変だから。自分が理解できない事は気持ち悪い、だって変だから。

高校三年生になった頃だろうか、母は再婚した。私は度々母から聞く話や直接会った印象で反対した。母が彼の家へ泊りに行って、喧嘩して都内から歩いて夜中に帰ってきた日もあった。これで納得するだろうと思いきや、母はそれでもお花畑状態だった。

漫画の専門学校へ行きたいと思っていた私に対し、その人は金は出してやるから行かせてやればと言ってはくれていたが、明らかに失敗するであろう再婚をぼんやりと見送ってまで行きたいとは思わなかった。だから反対していたが、「専門のお金出してもらおうとしてるくせにアンタも図々しい」と言われた。高校の先生に相談しながら泣いた。別に母が別れるなら、専門に行けなくてもよかったのに。

 

向こうの人間性もだけど、我が強い母とは絶対にうまくいかないと思った。案の定、スピード再婚・スピード別居と相成りました。同居期間は一年弱。そんな彼の口癖は「お前らは異常だ」。ある意味母と似てると思った。結局専門学校のお金は最初だけ出してくれたが、残りは渋りに渋って高圧的になっていたので、別居が決まっていたのもあり国民金融公庫で借りた(これも自分で完済済み)。私はその頃本気で漫画家になりたかったし、頑張るつもりでいた。だが母は面白く思わないだろうとも思っていた。彼女なりのプライドか、表向きは応援するような事をいうものの、会話の端々で「安定した収入と正社員」を求めていた。わからなくもないし、私も親の立場なら一度は反対するかもしれない。デビューしたとして、いきなり稼げるかは綱渡りの職業だ。投稿しようと思っていた原稿を自室でせっせと描いていた時、「そんな事してる場合じゃない」と言われて心が折れた。

 

初の社会人デビューは、大手携帯会社の正規店。登録から説明、販売もする正規社員。余り詳細は上げられないが、激務とクレームの嵐、本社のぐずぐずっぷりで一年と少しして辞めた。母は最初私が介護なんて出来るわけがないと反対していたものの、元々可愛いお年寄りは好きだったから、ヘルパー2級の資格を取り、母が務めていた病院へ入職した。これが介護職になったきっかけ。ハマりにハマって結局この後7、8年ほど続けることになる。

 

話が前後するが、専門学校に入ったあたりからいわゆる二次創作にハマり始めていた。在学中に自分のHPを作り、小説メインで毎日キーボードを叩き続け、ある時「WEB拍手」からコメントをもらった。ランキングに登録していたからカウンターはそこそこ回っていたけど、顔も知らない人からコメントを頂いたのはその時が初めてだった。飛び上がるほどうれしかった。自分の文章を読み返すのが好きな自分が今読み返しても、思わず顔を覆いたくなるほどへたくそで、自分の熱量だけを押し込んだ小説。それを、顔も名前も知らない誰かが、「すきです」と言ってくれた。

 

それまで自分の世界が実家と学校だけだった自分にとって、ものすごく不思議な感覚で、サイト内にある自分のブログに凄い、ありがとう、繋がってるって凄い、と思いのたけをぶつけた。それに対しても、本当ですね、繋がってるってすごい事だとコメントをもらった。多分、その辺りから私は文章を書く事が好きになった。自分の文章を、顔も名前も知らない誰かが読んで、何かしらの感情を持ってくれる。共感してくれたり感動してくれたり、それは凄い事だと思った。

あの時初めてコメントをくれた知らないあなた、本当にありがとうございます。

 

25歳の頃、良く行くバーのバーテンダーに惚れた。ゴス服メインだった自分が女子っぽい格好をし、店に通い、営業時間外でも会うようになり、めでたくお付き合い。まぁ向こうに色々あって長くは続かなかったし、向こうとしてはそんな好きではなかったのだろうなと今では思う。大人になったものだ。

その頃出会った友人達と、自分の価値観の違いに少しずつ目が覚めていく感覚がした。それまで私の世界は母親が囲った円の中だけで、一歩外に出た私にとって衝撃の嵐だった。自分がやりたいことをやりたいと言ってもいい、「ちゃんと」してなくてもいい、自分を肯定してもいい。死んでた私の自尊心を、友達がちゃんと育ててくれた。

 

この時の私の衝撃ったらない。うちの母は「褒める」なんてほぼしたことが無くて、面倒そうにあーすごいねって子供をなだめる様な事しか言わなかった。もっと褒められたかった。自分はダメな人間なんだとずっと思っていた。その時から、また過去に諦めていた「もの作り」への夢がむくむく沸いてきた。

 

26か7歳くらいの時、別の人とお付き合いをし始め、同棲の為に他県へ引っ越して現在に至る。が、こちらに来てから介護の就職は難航した。

病院でのハードな経験があったから、どこにでも入れるしどこででも通用する。引っ越してから最初に務めたところでは、皆が全部のスペシャリストという目標の元、なんでもやった。現場だけでなく事務作業やレセプト、利用率の作成から連携機関への依頼、調整、担当者会議、もろもろ。覚える事は沢山でとても楽しかったしやりがいもあったけど、夜中もバリバリ鳴るオンコール、夜勤からの無茶なシフト、休日も出勤しなければ間に合わない仕事量に、このままでは体が持たない、と気付いた時には、すでに生活が仕事ありきで動いていた。

 

直属の上司がまず理不尽に耐え兼ね退職届を叩きつけた。代わりに施設長となったマネージャーのやり方で施設の経営方針も180度変わり、ご家族様もこっそりと私に「あの人さ…」と相談されるようになった。前施設長がものすごく慕われていただけに、ギャップも半端ない。このままでは続かんな、と思い、私もサクッと退職。家からも近いし給与も介護にしてはそこそこだったけど、私生活と彼をもっと大事にしたかったから。

 

その後の2018年、一年間で二か所就職して、どちらも退職した。今まで勤めていた所とのギャップが酷過ぎた。施設長は現場を把握していなければ見ようともせず、丸1日事務所から出てこず、そもそも面接時の雇用条件と実際が全く違っていた。

近年、他業種がどんどん介護業界へ参入してきている。支援金目当てに乱立するサ高住や有料ホーム、建てたは良いものの人手が足りず回らない現場。

介護福祉士も取って経験も積んだ。沢山の事をやらせてもらってきた。最後の介護施設を辞めた途端、「もういいかな」という気持ちになっていた。

 

介護の仕事は好きだ。現場の雰囲気が良いところが多かったのもそう思える要員の1つだけど、お年寄りが昨日までできなかった事が出来た時、発語が少ない患者さんが私の話に返事をしてくれた事、可愛い顔で笑う人、すごく楽しい。だけど、気付いたら少し介護から離れたくなっていて、数か月ニートを続けた時、最早今の介護には戻りたくないなと思い始めていた。

 

じゃあ他に何が出来るのだろう。介護職を続けていた人がつまずくのがここだと思う。介護職を続けていると、一般企業とは全く違う特殊な空間のせいで、キャリアチェンジが難しくなる。私は何が出来るんだろう。そう考えて悩んでいたところに、ふと、初めてコメントをもらった時の事を思い出した。

小説かイラストを描きたい、ライター業とか、文字を打ちたい。それしかなかった。2019年の今年は、私はやっと大殺界を超えたところだそうだ。芽吹き始める時期、今だ、だから上手くいかなかったんだ、と都合よく考える事にした。減り続ける貯金を前にようやく焦りだした私は、あちこちの副業サイトやフリーライターさん達のブログを読み漁り、サグーワークスに登録した。今思うとサグーは初心者にとってとても入りやすい、わかりやすい形式だった。

 

それでも怖気づいた私は、「本当に私に出来るのか、生活していけるのか、彼に迷惑はかけられない」と、何度も介護の仕事に逃げようとした。とりあえずパートででも、と面接もいくつか受けたけど、開いた口がふさがらない所ばかりだった。自宅周辺が良かったけど、ブラックで有名な所しかない。ダメだ、やっぱり今のこの世界には戻りたくない、と再確認しただけで終わった。

一番最初に、200文字100円くらいの簡単な文章を投稿して、無事承認。その時の感動ったらなかった。掲載サイトをこっそり見に行って、反映されているのを見てにやにやした。今見返すと…読みづらいなって思ってしまうんだけど…(笑)

 

それから本格的に金欠になってきた私、通帳に尻を叩かれて、まずは数百文字の簡単なタスクをちょこちょこ上げ続けた。順調に承認されていき、自分の力量を知る為と収入の為に、プラチナライターテストを受けてみる。実に四時間。時間はかかったもののそこまで難しいと感じなかったので、もしかしたら落ちたかもしれないなぁと思っていた1週間と3日。凡ミスで非承認になってしまった記事にしょんぼりしていた時だった。メールが来た。メールの件名から覗く「合格」の文字。1人で飛び上がってしまった。勿論合格しただけでいきなり収入ガッツリ増えるわけではないけど、やっとスタート地点に立てたような気分だった。

 

これから先、またどこかに務めるのか、無収入の恐怖に耐えながらライター1本でやっていくのかはわからない。まだ駆け出しのヒヨッコライターだけど、出来れば文章で食べていきたい。いつかシナリオライターもやってみたい。そう思わせてくれたのは、あの日のたった一つのコメントのおかげだろうな。

ありがたい事に承認時にもらうアドバイスから、自分の弱点も見えてきたので、これからどんどん文章と構成力、あとスピードを磨いていきたい。先日名文認定をもらった600文字のコラム、すごくうれしかった。だけどタイトルしか確認できないからどのコラムだかわからない。たぶんあれ。

 

と、ここまでで約4800文字、2時間かからないくらい。頑張って5000文字もサクサク書けるようにしていきたいなぁ。頭で考えられる文章と調べ物が必須になる書き物はやっぱり違いますね。明日は飲み会です。ふふ。日本酒飲んだくれてきます。

長野で起きた介護事故の判決と介護事情を考えてみた

桜がもろもろ咲き始めました。ヒダリです。

家の目の前ににはちょっとした公園があり、春になると桜の木から花弁がわらわら飛び込んできます。綺麗なんですけど掃除が……

 

先日、長野県の特養で起こった介護事故に対して行われていた裁判の判決が出ました。こちらにわかりやすい記事があったのでリンクを貼らせていただきます。

www.chunichi.co.jp

要点をまとめてみます。

 

1.入居者女性は嚥下(えんげ・飲み込む力)障害は無く、食事形態を常食からゼリーへ変更していたのは嘔吐の対策の為であり窒息予防ではない。また、特に要注意が必要な方ではなかった

2.上記の変更点は看護師が把握できる環境ではなかった

3.入居者女性には食べ物を口腔内へ詰め込む行為が多々見られた

4.おやつとして配膳されたドーナツを喉へ詰まらせ意識消失。そのまま意識は戻ることなく約一か月後に亡くなられる

 

詳しい時系列が引用先の下の方に載っています。この事件の論点は「低酸素脳症を引き起こす原因がドーナッツを詰まらせた事であり、それを防止するべき注意を怠った」点ですが、ではそれを完璧に避ける事は出来たのでしょうか。嚥下障害もなく、要注意も不要で自力摂取が可能なのであれば、ある程度目の入る位置にいつつ、他の要注意が必要な利用者のケアへ回るのが相当です。更にこの施設では、出来るだけ食事を流動食にはしたくないという考えがあるとの事。食に関しては特に思いを巡らせていたと思います。

私はこの施設を拝見したことはないので、その時の状況や日頃の様子を知る事は出来ません。ですが、この事件に関して沢山の動きがあり、介護現場の萎縮を招くとして医療・福祉関係者45万人の署名が集まったことを考えても、この看護師の方が適当なケアをしていたとは思えないのです。職員の中には、確かに適当な考えをして適当なケアしかしない人もいます。でもこのケースは違うんじゃないかな。

 

介護事故による死亡で裁判が行われた例を調べてみたのですが、まぁ出るわ出るわ、具体的に何件、と挙げてみようと思いましたが、数が多すぎて断念しました。介護事故は色々な原因から起こります。それこそバタフライエフェクトのように、どんな小さな事が原因になるかわかりません。ありがたい事にご家族様の中には、「事故が起こらないわけないから」という理解を示してくださる方もいらっしゃいます。ですがその一方で、薬や寝たきりを極端に敵視するご家族もいらっしゃるのです。

転倒が多く、認知症の影響で夜間も不眠、昼も夜も歩き続けるから体にも負担がかかりまた転倒に繋がる。こういった利用者も沢山いらっしゃいます。夜間の睡眠がとれるよう、様子を見ながら少しずつ眠剤を処方したりしますが、それすらも拒否されるご家族様もいる。ここは薬を使わせたがるから他の施設に行こう、と移った先で転倒転落のオンパレード。この場合、どうすれば防ぐことが出来たのでしょう。時間をかけてご家族様と話し合っても、理解を得られるとは限りません。

このように、介護事故は「誰が、どこが悪い」と断言するのはとても難しい、デリケートな問題です。我々介護職員には、もちろん事故を防止する義務があります。毎日人がいない中でも利用者の状態を把握して、上や看護部へ報告して、情報の共有が重要になります。なので、私はその情報共有が全くできない施設に当たり、どうしても改善が見られない時は、他の施設へ移りました。

介護を受ける・提供する上で重要なのは、「何を優先したいか」だと思っています。

ご家族様とご本人が、「歩きたい」のか「徹底的に事故を防ぎたい」のか「好きなものをいくらでも食べさせてやりたい」のかをきちんと話し合い、そこに付随する問題をどうするか。歩く為にはある程度の転倒リスクは仕方ないと考えるのか、徹底的に事故を防ぐならばご本人の意思をある程度抑え込むのか、好きなものを食べるならば誤嚥の危険を承知しておくのか。そのあたりのすり合わせをきちんとしたい所です。

 

あまり思い出したくない過去ですが、実は私自身も二件ほど介護事故を起こしています。死亡事故ではないので重さが違うとは思いますが、介護業界に入ったばかりの頃、もう10年近く前のまだド新人だった時代です。

お一人は車いすからの転落で額のコブ、もうお一人は骨折してしまっていました。骨折の時には私は真っ青になって、クビも覚悟しました。迷惑をかけたと他の人皆に謝って回り、診断結果が出る予定の休日に看護科長へ電話して経過を聞きました。今思い返しても胃が締め付けられます。原因はどちらも時間のなさと、一人それを煽るおばさまがいたので余計に焦ってしまった事です。人のせいにしているわけではなく、遡った一番最初にあったのが「焦り」です。

私一人の首一本で骨がくっつくわけでもないと分かっていてもつぶれそうになった私に、科長や現場の皆が「いずれ起こる事だった、それがたまたま貴女だっただけの話だから、貴女に出来るのはそれを今後どう活かすかと、どう下の世代に伝えていくかだ」と言ってもらえました。介護業界大先輩の母にも同じことを言われました。

今現在、介護の事故や虐待のニュースが増え続けています。そのニュースを見たうえで、犯人探しやレッテルを張るのではなく、原因と対応策をいかにしていくかを相談するのが、介護界を存続させていく重要な事ではないでしょうか。

 

思いのまま打ったのでボロボロですが、誰も介護のなり手がいない、介護業界が全滅、なんて事にはならないことを祈っています。

英国紳士 アラン・リックマンの話

眠気の権化、ヒダリです。

春だろうが冬だろうが眠気には子供の頃から勝てません。

 

先日Netflixラブ・アクチュアリーを見つけ、テンションうなぎ上りで早速再生。内容がとても面白いのもあるんですが、出演陣の中に、先日亡くなられたアランリックマンが出演しているのです。配役は会社の部下と浮気未遂をするOH…な役柄。眠たそうなアランの目に上司役が良く似合う。と、思う。

 

あれは確か、高校一年生の頃だろうか。年齢がばれてしまうがまぁ困る事はない。当時一大ブームを巻き起こした児童小説、ハリーポッターと賢者の石が実写映画化されたとあって、テレビやら雑誌やら、あちこちで大々的に宣伝されていた。私の周りでも度々話題に上がっていて、真っ先に友達から見に行こうと誘われた。その時はまだ原作を読んだ事が無かったので、何となく面白そうだという印象しかなかった。当時既にファンタジーは好きだったし、CMで見ただけでも不可思議な世界が目の前をちかちかした。余談ではあるが、ダニエルラドクリフ演じる主人公ハリーポッターの吹き替えは、今やすっかり有名声優となった小野賢章氏だ。

 

ちょっぴり田舎の映画館で、上映時間2時間39分間で、高校一年生の私はすっかり魔法にかけられた。陳腐な例えではあるが、そうとしか言いようがない。壁一面の大きなスクリーンに、所狭しと迫る『魔法』。ファンタジー大好きな高校一年生は頭がくらくらした。トイレを我慢していた事も忘れ、頭の中はハリポタの不可思議な映像が何度も何度も繰り返し流れていた。残念ながら記憶力は良くないので、くまなくとは言えないが。

小さくてふにふにの可愛い子役たち。ふかふかの髭がお茶目で魅力的な校長先生。きりっと背筋の伸びたマクゴナガル先生。動く階段に絵画まで喋る世界。その中で一人、真っ黒いローブを引きずるとにかく怪しい先生がいた。その後私が心血を注ぐ事となる、セブルススネイプ先生だ。とはいえ、第一印象はうさんくさいおじさん程度にしか思っていなかった気がする。それがいつから恋心じみたものになったのか、最早良く分からない。映画を見たその足で、当時なけなしの月5万にも満たないバイト代を手に、発行されている分全ての原作小説を購入した。元々小説はそこまで読むタイプではなく、中学生の頃にスレイヤーズ(これも私の青春だった)を全シリーズ読破していたくらいだった(あの時スレイヤーズをすぺしゃる含め全シリーズ置いていてくれた中学校の図書室に感謝しかない)。

原作の分厚いハードカバー本を前に、私はほんの少しおののいた。分厚いながらもさくさく読めると前評判で聞いていたので、逸る胸を押さえながら、表紙と遊び紙をめくる。それが全ての始まりだった。

 

スネイプ教授は、とにかくハリーを憎んでいた。だけど何故か要所要所でハリーを助け、何かと損な役割をしていて、謎めき過ぎた教授だった。私はまだ家に来たばかりのPCを開き、片っ端からファンサイトを漁った。深い考察をしているサイトは読みふけったし、朝も夜も忘れて本を何度も読んだ。そうこうしているうち行き当たったのが、あの『うさんくさいおじさん』ことアランリックマン氏だった。

当時彼は55歳ほど。30代の設定であるスネイプ教授を演じるにはやや歳が行き過ぎていると言われていた。確かにちょっと、お腹がぽよぽよしてはいた…とはおもう…うむ。だがそれを補って余りあるほど、アランは魅力溢れる俳優だった。小娘だった高校一年生をも叩き落したくらいの。

やがてハリポタシリーズだけでは足りなくなって、過去の出演作を調べに調べて買い漁った。ダイハード、ロビン・フッドいつか晴れた日に、シャンプー台の向こうに、ドグマ。残念ながらラスプーチンは当時どうしても見つからなかった。しがない学生アルバイターのバイト代で足りない分は、クリスマスプレゼントでねだったりして。

 

ダイハードでは悪役のドン。事あるごとに第九を口ずさむのがとても可愛らしいが、ラストはビルの屋上から落下。スローで落ちていく様が中々シュールだった。

ロビンフッドでは中々ヒステリックな悪役で、主役を食ってしまったと今でも囁かれている。「スプーンで心臓を抉り出してやる!」というセリフは、ファン達の間でも合言葉のようになっていた。そして必見なのは、ヒロインの足を自分の足でパーン!!て開いたシーン。まさに( ゚Д゚)な顔をして何度もそのシーンを巻き戻してしまったほどの衝撃。

いつか晴れた日にではブランドン大佐役。とても紳士で美しい役でした。過去に女性と辛い思い出がありながら、マリアンヌに恋をして、右往左往して、というとても良い人。とにかく良い人。紳士的に、でも本人なりに積極的に頑張る。大佐頑張る。つくづく、氏には英国紳士が良く似合うと思います。

シャンプー台のむこうにでは美容師役。ハサミに絡む長い指、びしりと突きつけられるハサミ、そして終盤にちらりと現れる足裏のタトゥが最高。激しいアクションなどはありませんが、全体的にゆったりとした時間が流れ、色気のある氏が見られます。

そして忘れちゃいけないのがドグマ。アランはかの有名なメタトロンという天使役として登場します。これがまたおもしろい。キリスト教を元にしたコメディ映画ですが、その内容はドがつくブラックユーモアたっぷりのお下劣映画。海外では上映禁止運動が起こったほどだそうです。羽根を生やしながらのいつものウンザリ顔がひっくり返るほど素敵なのですが、ズボンをズバッと下ろすアランを見られるのは恐らくこの映画だけだと思います(笑)もちろん天使役なので、作り物のツルッツルな股間なのですが。草生えます。何でも許せる方向けの映画。

 

アランの魅力はその紳士的な所作と演技力ももちろんですが、中でもファンが口を揃えて言うのが彼の美声です。ミルクチョコレートにも例えられる低音ヴァリトンボイス。あのとろけるような囁きでやられた女性は数知れず。

スネイプ教授の吹き替え役を務められたのは土師孝也氏だったので、未だに土師さんの声がテレビからするとガバッと振り返ってしまう癖がつきました。逆にアランの吹き替えを別の方がされているとすっかり違和感が残るように…(笑)

 

そして件のラブアクチュアリーですが、ラブコメディではあるものの、泣き所あり爽快感あり。沢山の主人公がおり、それぞれのラブストーリーが繰り広げられています。登場人物が皆知り合いとして繋がっているのですが、そういった設定が大好き。この人が実はこの人と友達だった、という。その中でアランはデザイン会社のボス。奥さんと子供もいるが、部下である小悪魔ミアのアプローチにうっかり落ちかけてしまう。

奥様との買い物中、大胆にもミアへのクリスマスプレゼントを購入。ラッピングにこだわりまくる店員、早く早くと気が気でないハリー(アラン)、わかりました電光石火で、と言いながら花を散らす店員、トレードマークでもあるしかめっ面でうんざりした様子のハリー。この店員、Mr.ビーンでも有名なローワン・アトキンソンが演じていて、コミカルに磨きがかかっています。結局この後奥様がいらして購入は未遂に終わるのですが、別日に改めて購入したプレゼントを奥様が発見し、自分へのクリスマスプレゼントと勘違いして嬉しそうにする顔が切ない…。二人は後々きちんと仲直りします。

 

アメリカへ旅立ってしまう女の子を追いかけるサムのシーンもとても可愛い。空港でのダッシュシーンは思わず頑張れ!!と呟いてしまう。実はここで潜入の手助けをするのにも、ローワン氏が登場しています。目配せをしてちらりと笑う所を見るに、ハリーとの会計シーンで時間をかけたのもわざとなのか…?と思ってしまう。

見どころ沢山、見終わった後にはほっこりした気持ちが残るので、まだ見ていない方はぜひおすすめします。

 

アランリックマン氏のWikipediaに享年の記載がされたのは2016年。衝撃で、何度も何度もネットニュースを検索して読み漁った。膵臓がん。享年69歳だった。お歳もお歳だったし、自然の摂理には逆らえない。

素晴らしい俳優の誕生に感謝をしつつ、彼の出演作を今日も眺めている。

介護職と気持ちと心意気

今日は雨です。どうも、寒さを理由にコタツから出られないヒダリです。

 

文字を打ちたいけども特に思い当たるネタもなく、何となくやる気が出ない。雨の日だったり気圧だったり、そんな日は何をしてもダメで、そもそもとにかくやる気が出ないのでどうする事も出来ない。間が悪い事に、今私が住んでいる部屋は雨が降るとテレビが映らない。管理会社に連絡をしたものの、「業者に伝えておきますね」と言われたきり何の返事もないままである。別件で連絡した時もこちらから連絡するまで特に返事はなかったので、きっと件の業者さんは遠い海の向こうにあるのだろう。ロシアあたりとか。

雨だけど外出の予定はあるので、待ち合わせの時間までぽちぽちと取り止めのない事を書いてみようと思う。雨だけど。

 

先日から、うちのもう一人が風邪気味だとぐったりしている。

喉が痛いと始まり、熱はないけど体のだるけも凄いらしい。顔が死んでる…朝イチで思わずつぶやいた。死にそうな顔で「きょうはやすむ」と唸ったかと思えば、同じ顔で「やっぱり行く」と言い出して、思わず行くの!?と返した。そんな調子でよたよた仕事へ行く、止めても休みを勧めてもよたよた出て行く。日頃あれやこれやと自由人であるうちのもう一人だが、ズル休みだとか筋の通らないいい加減な事は嫌いなタイプ。偉い。偉いぞ。でもちょっとずれてるぞ。

とりあえずそんな調子なので薬をいくつか買い足しておいたのだが、ここからまた一悶着。過去に買っておいた別の風邪薬を引っ張り出して、顆粒の葛根湯と一緒に飲もうとする。反射的に取り上げつつ、でゅくし!!と額を小突いても、イマイチ良く分かっていない様子だった。

「え?え?何で、葛根湯だよ?ルルと一緒に飲m」

「あかん、薬を一緒に飲んじゃいかん、成分が被る」

「え、じゃあもっと効くんじゃn」

こんこんと説明しても、その時は理解しきらぬまま、結局一緒に飲みよった。後に聞いたら、葛根湯とは栄養剤的なものの事だと思っていたらしい。そもそも漢方は完全無害だと思っていたようで、しつこく説明したらそれ以来複数飲むのをやめた。

 

どこかで見た光景だなぁと思ったら、何の事はない、認知症のお年寄りがよくやるあれだ。薬の危険性を説明した所で把握もできず、薬の管理が出来ない。勝手に何錠も飲んでしまったり、出された薬を勝手に辞めたりトイレに流したり、口へ入れたのを確認しても、上手い事舌の裏に隠して後から捨ててしまう人もいる。

あれを常々不思議に思っていた。何故そこまで薬を嫌がるのだろう。いつも本人に聞いてみるのだが、これまで一度も的を射たような返事をもらった事がない。こういった理解しがたい事を推測してみるのが好きだ。答えを決めつけるのではなく、推測して、自分なりに考えてみると、それまで見えなかったものが見える事もある。それがぴったりはまると、思わぬところで利用者さんからの信頼を得る事が出来たりもする。

その瞬間がとても楽しい。

人間とても難しいもので、仲良くなろうとするのはとても良い事ではあるが、大事なのは相手の顔を見る事だと思う。相手を良く知りもしないうちから、一方的に距離を詰めようとぐいぐい行くと、気まぐれにプイとそっぽうを向かれてしまったり。まずは呼びかける時に名前を一緒に呼ぶところから始める。関係性を作るのに、飛び級というものはないのだ。

そうは思ったところで、薬を嫌がる答えについては誠意模索中のままです。うーん。

 

昔の職場にいたお年寄りで、まぁよくある話ではあるのだが、何度でも車いすから立ち上がり、自分でトイレへ行こうとするお婆ちゃんがいた。歩行も危ういからと車いすを強制され、立ち上がろうとする度に、ちょっぴり口が過ぎるオバサマ職員にガミガミ怒られ、しょんぼりしながら車いすへ戻っていた。今でもよく思い出せる、小さな小さなお婆ちゃんだった。その時まだ新米小娘だった自分は、オバサマに立ち向かう胆力を持ち合わせていなかったのだ。今ならいくらでも何でも言える。そんなオバサマとディスり合いもできよう。

ある日の夜勤中、静まり返った夜中に、トイレ帰りの薄暗い洗面台で聞いてみた。どうして立ち上がっちゃうのかと。危ないよ~と言い添えて。

車いすから小さい手を一生懸命伸ばして、お婆ちゃんは手を洗いながら、「家に戻ったとき誰にも迷惑かけたくない、自分で何でもできるように練習してるんだ」ともにゃもにゃ答えてくれた。うっかり半泣きになった。

利用者や患者はそれぞれ自分の考えがあって、決して何も考えていないわけでもなく、子供と違って『出来ていた頃の自分』があるのだ。短期記憶が危うかろうと幻視があろうと、出来ていた頃の記憶がなくなるわけではない。認知できずに行えないという事はあるけども。そんな『言外の思い』をくみ取って素知らぬ顔でフォローするのも、私達介護職の仕事であるとぼんやり考える。

 

とはいえ、介護士も人間。顔に向かって納豆噴出されたり齧られたり引っ叩かれれば、ナニクソと思う時もある。むしろ7割くらいだ。世間では毎月のように介護での虐待が報じられるが、いつも苦い顔になってしまう。どちらの気持ちも分かるだけに。

分かるというと傲慢かもしれない。出来るはずだと考えてしまうのは本人も家族も一緒だ。特に介護に触れたことのない肉親は、やらなければ動けなくなるという強迫観念じみた思いが強い。引っ張ってでも引っ叩いてでも動かそうとする人も、中にはどうしてもいる。

一方で、介護職員は余裕がない。時間も分刻みでスケジュールを決められ、早く次へ行かなければ業務が成り立たない、扉を開いた先では失禁パレードが繰り広げられ、思わず開いた扉を一旦閉じてみた事もある。もう一度開いても、夢にはならなかった。追剥のようにシーツや更衣をしている間も、容赦なく他の人からのコールがなりまくる。しまいには鳴りもしないコールが耳にこびりつく。時間のゆとりは心のゆとりでもあると思う。人がいないから時間もない。時間もないから些細なイレギュラーも許せない。いつもいつも心がささくれ立って、利用者からは時々「お給金いっぱい貰ってるんでしょ」なんて言われてしまう。ギリギリです。

人を育てる環境、人を充足させる環境を今すぐ作るのは難しい。だからこそ、ちょっとお行儀が悪い職員もとどめざるを得ないのだ。業務が立ち行かなくなれば、介護報酬すら入らなくなるから。現場も、業務が回らなくなるとしんどいから。

人がいないというのなら、何故いないのか、どうして皆が辞めてしまうのかを行政レベルで考えてテコ入れしていかなければ、必須であるはずの福祉という仕事がぐずぐずになってしまうと危ぶんでいる。

介護も、障害も、保育も、外から人を入れれば良いというものではない。即戦力を求めるのも結構だが、その即戦力はいずれ動けなくなってしまう事を忘れてはならない。

 

と、まじめな事もたまには考えてはいる。たまには。

見切り発車でも3000文字近くは打てたからこれで良しとしておこう。準備をしてそろそろ出かけようと思います。大好きな日本酒に会いに。ふふふ。

甘える女と甘えられない女

こんにちは。ディズニーランドでノンストップエンジョイしたら足腰ガタガタのヒダリです。

子供の体力をナメてた……(親戚の子といった)

 

ツイッターをうろうろしておりましたらば、とある恋愛系ツイートが目に入りました。

要約すると、「甘えて媚びを売る女ほど人生スムーズに行っている」という、まぁ100年前から論争を繰り広げている内容です。

甘えて媚びを売るというのはやや乱暴な言い方ですが、つまり

・すぐ「出来ない」「わかんない」と言う

・人前で平気で酔っぱらう

・挙句「帰れない」と言い出す

・人前で平気で泣く

・とにかく甘える

という点について言われている事が多い様子。

いるいる!むかつくよね~!と拳を握る女性も多いですが、私はある意味こういう女性がモテる(優遇される)のはある意味納得だと思うのです。

腹が立つか立たないかは別問題として(笑)

これを裏返してみると、「自分の要望を素直に要求出来る」という事ではないかなぁと思います。

人間関係の中で、相手が何を求めているのか「言わないとわかんないよ~」と思った事ありません?私はあります。沢山ある。ノーヒントで選択肢を間違えると気付かないうちに拗ねられてる。わからん。

こうして!これして!ってストレートに言われると相手も分かりやすく、行動をとりやすいですよね。

分かりやすいという事は、行動を選びやすく失敗が少ない、相手にとっても難易度が下がるので「頼られた、そしてそれをクリアした」って達成感が得やすい。

だからこそ「可愛げがない」なんて癪に障る言葉が出てくるんだろうな。なんてな。

 

一方で、それが出来ない人もいます。わかる。超わかる、甘えた方がスムーズに行くってわかってるわかってる、でも無理超無理。

だってみっともないって思われちゃうじゃん。

これです。この一種呪いのような価値観が俗にいう甘えられない女というやつだと思うんです。

しっかりしてないと思われちゃう。だって人前で酔っぱらうってみっともない。シャキっとしてないと。自分の事は全部自分で出来なきゃいけない。終電?大丈夫ちゃんと調べてます。記憶なくすほど酔わないようにセーブできます。出来ないことはみっともない。

って、思ってしまうこの構造。私の場合だと、子供時代の呪いのような「みっともない」って言葉に縛られてる。

みっともないって何だろう。小学生の私は、母の友人の前で居眠りしてしまったら「みっともないからしっかりしてよ」って言われた。「あんたっていつもそう、ほんとダメ」。

多分この時の母は、久しぶりの友人達との集まりでずっと喋ってたかった楽しい時間を、私の居眠りで切り上げざるを得なかったから拗ねていたんだと思う。

子育て、大変なのは重々理解した上で、それでも生涯の呪いになりうると思います。

「みっともない」は「ダメなんだ」って刷り込まれて、何をするにも迷惑になるんだろうと考えて、人の手を借りられなくなってしまう人も、一定数いるのです。

酔う酔わないに関しては様々ケースがあるので一概には言えませんが。

 

で、この甘えられる女性と甘えられない女性には、それぞれのメリット・デメリットがあると思います。

甘えられる女性はつまり素直であるという事なので、自分の要望をスムーズに聞いてもらえる。帰れないと言えば送ってもらえたりもするでしょう。使えるものは使う。

その代わり、自分できちんと考えなければならないと思います。楽だからと何も考えずに甘えるだけ甘えて、出来ないわからないを繰り返していると、アラサーになるあたりから急に「あいつは一人で何もできない面倒な子」という突然のレッテルを貼られてしまう。

それまでにさっさと結婚出来ればスムーズな人生になるでしょうが、まぁいいやと考えなしに遊び歩いていると、急に何もなくなってしまう。20代のうちしか通用しない事になってしまう可能性もあります。

逆に甘えられない女性は、若いうちに自分の生活力のようなものを育てる事が出来ると思う。危険を回避し、自分の経験を育て、解決力と行動力を育てられる。アラサーが目前に迫っても怖いものなし。だって自分で出来るから。

その代わり、甘える練習が必要になる。甘えるって難しい。人の手を借りたい時、迷惑だと思われてしまうのではとストッパーが邪魔になったり、若い頃の経験が最悪トラウマになってしまうかもしれない。

それをこじらせてしまうと、「私はこんなに頑張ってるのに何であの人ばかりがいい目を見ているのだろう、何で気付いてもらえないんだろう、見る目がない」と落ち込んでいってしまう危険もあります。気付いてもらえないのは当たり前なんです、だって口に出してないから。大丈夫って言い続けて、本当に大丈夫じゃない時までこいつなら大丈夫だろうって思われちゃう。

だからせめて、甘えられる相手とそうでない相手を決めておく。甘えるって、寄りかかる事じゃないんですよね。不特定多数の男性に甘える必要はないから、特定の誰かなら甘えられるって人を作る。

それが一番難しいんですけどね!( ゚Д゚)

乱暴な言い方をすれば、先に楽をするか後に楽をするかなのかなぁと。

 

まとまりのない文章ですが、私自身人に甘えるのが難しかったので、甘えられる女性ほどスムーズな人生を送ってるな、と気付いた時がありました。

何でだろうって考えたらこういう事なのかなと。

今ではある程度甘えられるようにもなりました。意地を張る事もなくなった。

ハードモードだなって思うこともありましたけど、自分の力をある程度育てることが出来たから、それでよかったなとも思う。

 

人間関係難しい。あれやこれや考えても仕方ないから、美味しいご飯食べて寝てしまおう。

そんなとりとめもない話でした。

 

フランスの介護施設と日本人介護士の絶望

毎食の献立に頭を悩ませているヒダリです。

なんかもういっそルーレット式にしたい。ポチっと。

 

本日のタイトルですが、以前勤めていた会社で海外研修旅行に連れて行っていただいた事があります。

それも愛の国フランス、おらそっただおシャンティな国行った事ねぇだ。

初めての海外だったので、パスポート取るにも駆けずり回ってぎーぎーしていたのを覚えています。海外コワイ、しかなく、行きたくないなぁとさえ思っていた。

自宅から出るのも億劫な引きこもりが海外なんてぶっ飛びすぎた。

その時の思い出を、ふつふつと湧き上がるまま書きなぐってみようと思う。

 

そんなガタブルしてはいたものの、海外の介護施設を訪問・見学できる機会なんてもう二度となかろうと、現地に着くなり一気にテンションが上がりました。

フランスでも大手であろう二社のいわゆる高級老人ホームのような施設を見学し、話を聞き、そこに働く人たちを見、私は絶望してしまった。

きらめいている。

高級施設だからというのもあるのだろう。施設内は手入れが行き届き、花壇の花もみずみずしい。独特の匂いも全くしない。

そして、そこで働いている方々を拝見して、私は絶望してしまった。

くたびれたり恨めしそうな表情なんて一つもなくて、顔つきも違うどころか、誇りさえ持っていた。

日本の介護施設と全く違う。

勿論日本にも素晴らしい介護施設は沢山あると思う。私がなかなかお目にかかれないだけなのだろう。

それでも私の知っている介護といえば、どんなに改善しようとしてもキツイツライと漏らしながら、腰を痛め認知症の方に暴力を振るわれながら、追い剥ぎのように排泄介助をこなして、ボロボロになりながらなんとかその日を済ませていく。

余りの衝撃に、暫く先輩と二人、言葉が出なかった。

すげぇ…うそだろ…しか話してなかった気がする。

 

あちらのマネージャー的な方が話してくださるには、向こうの介護士は皆、やはり誇りを持って介護の仕事をしているのだそうだ。

人生の終盤で、その方という人間を理解し、関わり、手助けをする。

崇高だ。

何度も言う、価格帯の違いもあるだろう。

費用を安く抑えれば、安かろう悪かろうになってしまうのはどこにでもあると思う。

それにしてもこの違いは何なのだろうと考えて、ふと、日本と海外の介護感の違いが大きい事に気が付いた。

例えばフィンランドなどの福祉大国のニュースなどでも話題になるが、海外は基本的に自然に任せる所が多い。

食べられなくなったら、形状を変えてまで無理に入れようとしたりしない。

徘徊するようになったら本人の気が済むように工夫をする。

不穏になったら、その人それぞれの対処法やキーワードを探る。

一番驚いたのは、先輩の一人がした「異食はないのですか」という質問に対し、イマイチ通じてないのか首をかしげていた。

そして、「食べてしまうなら食べられる花を置きます」と返ってきた。

 

うらやましかった。

私もそんな介護がしたかった。

利用者さん一人一人の「人となり」を知り、共有して、どうしたらいいかの工夫を上と話し合いたかった。

でも、それが許される環境が見つけられなかった。

最初に務めた病院が唯一ムンテラや申し送り、カンファをしっかり行っていて、主任やナース主任も介護に協力的だった。提案したら、いいね!それやってみよう!というとてもありがたい雰囲気だった。

最初がそんな職場だったので、そのあとのギャップはひどかった。

そもそも上が現場に興味がない。お抱えのCMは利用者さんがいつオムツを使っているのか、Pトイレはいつ使っているのか、風呂の種類もわからないといったグズグズっぷりだった。

そんな有様でどうやって認定調査に同席したのか。現場介護士に聞き取りもなかったので、話半分で盛ったであろう要介護度は本人の状態と合ってなかった。

暴力行為・迷惑行為を「介護だから」と容認する。

最低なところでは、利用者さんに面と向かってクサイ・キタナイと怒鳴りつける所もあった。

私も、あんな人と人の介護がしたかった。

 

いったん切ります。夕飯作ってきます。今日は唐揚げです。

フランス、楽しかったです。良い経験をさせていただきました。

ただ帰国後まもなく起こったテロ的なアレコレにはキモが冷えました。

 

ではまた(´・ω・`)

家売るオンナとセールストーク

どうも、現場仕事を離れた途端テキメンに太り始めたヒダリです。

まずいまずい。着実に金銭が我が血となり肉となっています。最近のお気に入りはビニール袋をひたすらリフティングするあれです。いい運動。

 

さて今回のタイトルですが、年始に夜中再放送されていたドラマ、「帰ってきた家売るオンナ」を見ていました。

元々あまりリアルタイムでドラマを見ない(仕事的に見られないので)タイプでしたが、家売るオンナは中々面白く、ちょこちょこ見ていました。北川さんがとてもお綺麗……。

売れない家はない、と言われている主人公の三軒家万智(さんげんや まち)が、バッシバッシ家を売る話。ざっくりしすぎた説明ですが、少し前に流行した「私、失敗しないので」にも似たニュアンスを感じます。自信に満ち溢れ実績を伴う女性が、今も昔も憧れの的なのかなと思います。わかります、私もああなりたい。オムツ交換なら負けない。

脱線しました。

一見ものすごくでたらめで謎な行動に見える万智ですが、最終的には見事に問題を解決していくあたりに大事なことが隠れている気がします。

備忘録的にその辺りを書いてみたいと思います。

 

ずっと介護業界に浸っていた私ですが、介護に入る前は携帯ショップ(本店)に務めていたり、途中サ高住にて見学対応や営業を行ったりと、セールストークに触れる機会が意外に多くありました。

セールストーク、難しいですよね。熱意だけでもダメ、知識だけでもダメで、これでどうだ!と押してみたところで反応が薄い……

お客さんのニーズを察知できなければ、どれだけ押しても無駄な時間になってしまう恐ろしさ。どれだけ良い商品なんです!と説明しても、お客さんが興味を持っている所はそこじゃないんですよね。

実はこれよくやりがちで、やたらに自分の知識をしゃべり続ける販売員さんなどに遭遇したことないですか?私はある。私が欲しいのはこれだ、という明確な点を出しているにも関わらず、こっちもいいですよ!これも新商品でこんな機能がついていて!っていう。その時点でもう購買意欲半減ですよ。

サ高住で見学対応をしていた時などに注意していた点は、

 

1.まずは会話のキャッチボールをする

これ、介護でも一般社会でも使う基本のコミュニケーションなんですが、ただ質問攻めにするだけでは本心の要求を引っ張り出すことは出来ないんですよね。○○好きですか?じゃあ××はどうです?生まれはどこですか?云々……会話を途切れさせるのが怖くて、頭に思い浮かぶ質問すべてをぶつけてくるあれです。お前はアンケートサイトか。

会話を広げてキャッチボールをするのが大事なんですけど、これがまた難しい。

広げろってどうやって広げたらいいのか。相手の出身地を聞いてみた所でそんなに詳しくない所だった……あるある。そんな時、私は逆に聞いてみてしまう手段をとっていました。

 

A「出身は鹿児島ですね」

私「鹿児島!鹿児島で美味しいオススメとかありますか?」

A「かき氷の白熊とか、あとは海産物とか美味しいのありますよ」

私「あー!じゃあBさん(入居検討者)もかき氷とか魚介とかお好きですかね?」

※拙いフィクションです

 

……こんな感じの、些細なコミュニケーションから話を広げつつお相手の情報を溜めていきます。こればっかりは慣れですよね……私も最初苦手でした。そもそも人見知りだもの。無理ゲー。でも満室にしないと利用率がとかそういう裏事情もにゃもにゃ。

色々なお客さんに当たって、色々な適応力を養うしかない。

でも会話が目的なのではなく、あくまで相手の要望を引き出すための会話です。

 

2.人は千差万別、勝手に過去のケースにあてはめない

これ、携帯ショップ時代に口を酸っぱくして言われていたことです。

「過去にこういう人がいたから、きっと似た事を言うこの人も同じタイプでいいよね。」これが一番危険です。

Aさんは本当にネットもメールも一切しないから定額プランはいらなかった。

Bさんもネットはそんなにしないから定額はいらないと言う。

現在はスマホが主流になり定額プランもほぼ強制なのでそういった事故は減ってると思いますが、ここで安易にじゃあAさんと同じようにいらないね、とはならないですよね。

実は1日中メールしまくっているかもしれないし、“そんなに”の程度もわからないし、1日30分くらいは乗り換え案内サイトを見ているかもしれない。

人によって見ている視点が全く違うので、様々な可能性を念頭においておかなければなりません。ほんの小さな説明忘れが、後々特大クレームになる可能性もあるのです。

 

他にも細かく気を付けている所もありますが、大きく注意していたのはこの2点です。

家売るオンナとかけ離れ始めてきました。

要するに三軒家万智がバリバリ家を売れるのは、この「隠された相手の要望と問題点」を見抜く力が優れているのだろうなと。そして、その問題を解決する為の手段がダイナミックなのも面白い。

潔癖症の夫婦がトイレ内で手を洗えないからトイレのドアノブが汚くなる、と騒いだ時には、トイレのドアノブを一つ増やした事で解決しました。これにはさすがに驚いたし、成程~~~!と声が出ました。

汚い手用と、綺麗な手用。な、なるほど~~~

私もそんな柔軟な頭を持ちたいものです。そんな事を考えた年始の深夜でした。