目下ヒダリ向き

毎日の事、仕事の事、いろいろ書きたい

「やれる人がやる」という悪習慣

どうも、投票用紙にゾッコンのヒダリです。

投票用紙に使われているユポ紙、あの書き味たまりません…あのつるつるすべすべな書き味…あの紙で思う存分イラスト描きたい…

でも多分、手に入れてももったいなくて使えないのが目に見えている。

 

今回のタイトル。やれる人がやる。素晴らしいことだと思う。思うけど、やれる人って誰よ?っていう話です。介護業界では特にありがちだと思う。一番多いのは、謎の「業務前倒し」の風習。

いやわかる、わかるんですよ。入浴日とか猛獣化するほどの忙しさ。今私に話しかけるんじゃねぇ。介護職での忙しさで1、2を争う業務。訪問介護を扱う施設でもそこそこ忙しいけど、これが特養やら療養型病院になると最早戦争。そこをどけ、ストレッチャーでひかれたいのか。

話はそれるが、私が勤めていた療養型病院では風呂日に合わせてシーツ交換をしていた。これがまた修羅場。片っ端から駆けずり回り、追剥のようにシーツと掛け布団を交換していく。入浴の誘導をする人と息が合わないと、アレ次こっち行くって言ったじゃん!とまた修羅場。何でこっちからそっち飛ぶねん。

 

脱線しました。

 

そんな感じなので、「入浴準備を前もってしておく」という暗黙のルールを設けている施設は少なくない。経験上、前倒し業務は風呂準備だけではない。食事の準備、明日の業務の準備。「前もってやっておくと明日の人が楽だよね」という優しさから始まった暗黙のルール。厄介である。

もちろん業務をする人は前もって決められているので、前もってやっておくのは強制ではない。強制ではないが、妙な強制力はある。

主任や先輩は「いいんだよ~やらなくても!」と言う人がほとんどだし、私もそのタイプ。でも中にはやっぱり、ぐちぐち言う人がいるんだ。「アラ○○君はやってくれるけど○○さんはやらないのネ」っていうオバサマはどこにでもいる。一人は必ずいる。お前の仕事やろがい働け。

大体自分のやるべき業務が終わった後、他にやる事ないかな~って探した結果、明日の人の準備手伝おう~という流れになる。それを理解している人が大多数ではあるが、それを見て「やらなければ」と感じてしまう人もいる。最悪、「自分は仕事が遅いから…前倒しの準備までできない…皆やってるのに…」という悩みを持ってしまう事もある。

そんな本来考えなくてもいい悩みを持つ必要は全くないのだが、少なくともプレッシャーにはなる。人それぞれなんだから、絶対に周りと合わせる必要はないのだ。

後輩や部下が出来た時まっさきに伝えるのは、「やらなくていいことは無理にやっちゃダメ」と説明してた。

 

繰り返しになるが、やれる人がやる、明日の業務を手伝ってあげる、という気遣いが出来る環境は素晴らしいと思う。皆が手伝い合って、助け合いのできる仕事ができるといいですネ。

 

なんてのはただの綺麗ごとではなかろうか。むしろ今の介護職がブラック化している要因の一つだと思う。

素晴らしいとは思う。アンタの仕事でしょ?なんて知らんぷりしているよりは、全然いいし手伝いあえるような人とご飯食べに行きたい。問題なのは、スタッフにはそれぞれ価値観と意識の違いがあるという事だろう。やってくれる事に胡坐をかいて楽をしようとするスタッフもいれば、いつもやってもらっているから自分もお返ししようと思う人、色々いる。

職場などの不特定多数がいる環境で、がこういった暗黙のルールを持っているとどうなるか。

結局は「やろうとする人しかやらなくなる」と思う。

他人の善意に乗っかる人は必ずいる。そうなれば暗黙のルールに潰され、やらなくてもいい業務を「必須」と考えてしまい、真面目な人に限って負担としわ寄せがのしかかる。

 

勤務していた施設の一つに、やっぱり前準備をしておく、という施設があった。

そこは訪問介護だったが、基本風呂準備は訪問介護時間に含まれている。訪室→着替えなどの風呂準備→移動→入浴→入浴後の補水→記録記入。ここまでがケア時間のはず。

なんだけど、入浴した人が次回の入浴準備をしておく、という謎ルールがあった。

ケアのスケジュールがパツパツなところだったので、万が一時間がズレ込んだ時の為の保険なのかもしれない。

でも意味ない。結局入浴後に次回の準備をするんだったら、ケアの始めに準備するのと変わらないじゃないか。すげームダ。

こういう謎ルールは、大抵の場合親切心から生まれるものである。つまりどうしても後々発生する。それを食い止めるなら、やっぱり「前倒し禁止」しかない。もしくは、前倒ししなくても良いくらいの人員を確保しておくことが必要になるが、それは現状難しい。

たまにいるのだ。「仕事は助け合い!自分の修行と思って(??)人の業務もやってあげるのよ!それがプロっていうもの云々かんぬん」という意識が斜め上にブチ上がっているお姉さま。いらん。そんな謎なプロ意識はいらん。その人を助けたいと思ったら自主的に助けるもんだ。

親切を強制してはいけない。親切にされるような人に 私はなりたい ひだを。

親切にしあえる環境は私も好きだ。介護で一番最初に務めた職場がそんなところだったから、キツくても5年続いたんだと思う。

 

介護だけでなく、「やれる人がやる」というのはどこの会社にもある事だと思う。

溜まったゴミの処理、排水溝の片づけ、シュレッダーの掃除、備品発注。いわゆる「見えない家事」にも似た「隠れた業務」は、大抵の場合「やろうとする人しかやらない」のだ。見て見ぬふりをするズルい人は絶対いる。

そういう人は絶対周りから見てバレているし、かといってその業務は強制ではないから、面と向かって文句は言えない。

そんな小さなフラストレーションはどんどん溜まっていってしまう。

本当にいいのは、一々そういった小さな業務を振り分けなくても、皆がきちんと意識を持って行えることんだろうけども…

まぁ難しい話ですよね。

 

そんなところで夕ご飯にします。今日は二日目のカレー。ふふ。うちのカレーは絶品なのです。

明日は角煮の予定。

日本酒の肴は塩と決めている

どうも、今月はテスト案件に集中していたため稼ぎが無くてヒヤヒヤのヒダリです。

じ、人権が守れない…と頭を抱えていましたが、サグーさんから滑り込みで専属案件頂けたのでホッとしています。ありがとうございますタスカッタ

仕事の間口をもっと広げたいのですが、いかんせん駆け出しヒヨッコなのであちこち走り回っています。ウーン。

 

昨晩はうちのもう一人が飲んで帰るとのことだったので、私も久し振りに深酒をしました。我が家の決して大きくはない冷蔵庫には日本酒がひしめき合っている。入りきらない一升瓶がまだ別室に2、3本出番を待っているのだ。

決して飲み過ぎたわけではなく、在庫整理をするためだ。そう、在庫整理。話は逸れるが、30超えてから二日酔いの兆候が出るようになってきて困っている。少し前まで日本酒は全然残らなかったのに……

 

私は元々アルコールに弱いタイプだった。遺伝で顔はすぐ赤くなるし、祖父は酒に飲まれて暴れるタイプ。職場の飲み会などでサワーやオレンジ系のを飲めば、酔うより先に気持ち悪くなる。いわゆるアルコール頭痛というアレ。意識を飛ばしたことはない。

だからお酒は苦手だったし、日本酒好きな友達に何度か飲ませてもらったものの、イマイチ楽しみ方がわからなかった。

しかしそんな私が、今や立派な日本酒好きなのんべぇにまでメガ進化した。というのも、うちのもう一人が日本酒好き。地元が米と酒どころなだけあって、美味しい日本酒を沢山教えてもらった。

あれほど悩まされていたアルコール頭痛が、日本酒では一切現れないことを知って驚いた。どんだけ飲んでも気持ち悪くならない!美味しい!ハッ私今酔っぱらってる!

世界が広がった。

 

新しい経験をするうえで、最初に良いものを知っておくのはとても重要だと思った。お酒だけに限らず、食や遊び、趣味に関することでも仕事に関することでも。

美味しい日本酒を教えてもらって、それまでチェーン店で置いてあるようなあまり美味しくない日本酒(好きな人がいたらすみません)しか知らなかった私は感動した。

何だこれ、全然違う。日本酒って銘柄だけでなく酒造によっても全然違う。

多分、家の近くに日本酒がめっちゃくちゃ旨い飲み屋がある事も原因の1つなんだろう。オーナーさんが自ら飲み比べて美味しいと思ったものを置いていて、スタッフさんもめちゃ詳しい。私たち二人とも、絶大な信頼を寄せている。魚も美味しいもんだから、家で魚を焼いたことが無い。美味しい魚が食べたくなったらそこへ行く。

 

そうしているうちに、自分の好きな傾向もわかってきた。

甘いだけの日本酒はベッタリしていて苦手、でも後味がサッパリしていれば美味しいと思う、クセの強いどっしりした辛口が好き。

ちなみに焼酎は飲んで3分でマーライオンになった。根本的に合わないようだ。

日本酒を飲み始めると、食事をしなくなってしまう悪い癖がある。これは本当に良くないので、意識的に食べるようにした。

でも日本酒の肴で一番好きなのは塩。え?そうですあの塩です。

うちのもう一人に教えられました。木が香るマスの淵に塩を乗せてチビチビ飲む、最高。

昔の上司は、塩もいいけどレモンもいいよ!と教えてもらいました。

レモンを一切れ齧りながら、チビチビ。これまた最高。

身の回りにのんべぇばっかりで私は幸せです。

 

わりかし最初の方に久保田を経験し、千寿、紅寿、碧寿、朝日山あたりはとてもお気に入り。元旦絞りはものすごくおいしかった…新年早々へべれけになった。

日本酒が苦手だったり、飲んだことはないけど興味が合ったりする方にオススメなのは、蔵人さんで販売されているテハジメという日本酒。

これがまーーーーーーワインかってくらいに甘くて飲みやすくて美味しい。

よくよく味わうとちゃんと日本酒なんですが、日本酒が苦手とされやすいクセのある味が無く、本当にグイグイ飲めてしまう危険なやつ。

kurand.jp

ワイングラスで飲むタイプの日本酒です。

これだけは誰に勧めてもハズれないので、一度試してみていただきたい。

日本酒好きが増えるといいなあ。

 

少し前までは、職場などで日本酒が好きというと「エー渋い!」などと言われていたものですが、こういった新しいタイプの日本酒が増え始め、最近では「私も好き!」と言う人が増えました。

ただ、職場での飲み会で「日本酒好きだったよな!」と好みではない日本酒を注文されてしまった時は黙ってハイ!と飲むしかありませんが。

日本酒なら何でもいいってわけではないのです…

 

今日の夕飯は揚げ物です。チキンカツとコロッケ、あと出来ればクリームコロッケを揚げたい所存。

 

夏といえばのアノ話

お久しぶりのブログです。皆様いかがお過ごしでしょうか。

Twitterに吹き荒れる「年金フザケンナ」のツイートを読みつつ、遠い目をしているヒダリです。

まぁ…もらえないというのは…私が学生の頃から言われていた話ではありますし…(遠い目)

なんとかかんとか自力を鍛えていくしかありませんな。

 

 

昨夜3時頃、「寝れない寝れない」と転がっていたうちのもう1人が、突然「お腹痛い」とトイレへ駆け込んだ。

うちのもう1人はお腹を壊しやすく、そのくせ寝苦しくなると掛け布団を吹っ飛ばしてしまう悪癖をもつ。まさしく布団が吹っ飛んだというやつで、何度かけ直してもダメ。暑いのであろうと掛け具合を調整するというカーチャンのようなかいがいしい努力も無駄。4回やってダメなら諦めるしかない。

もともと寝相最悪であり、こちらがうとうとしかかったタイミングで頭にエルボーを食らった涙は数知れず。

誰か寝相の治し方知りませんか。切実です。

 

まだ5月だというのに既に30度を超え始め、ちょっと時期考えよ?と虚空に向かって呟く日々。夜は締め切っているとじわじわと室温が上がり、かといって窓を開けっぱなしで寝るのも怖い。

冬生まれの私は暑さに弱く、戦う意思もなく早々にクーラーの電源を入れて拝み倒した。快適。

暦は関係ない。もはや夏。かき氷が美味しい季節。先日はそうめんを山のように茹でました。

うちのもう1人はさすが男子というべきか、麺類は特にドン引きするほど食べるので、クソ熱いガス台の前でアホほど茹でる。

その弊害というべきか、1人でいる時に「ちょっとパスタ茹でよ~」なんて思おうものなら把握している茹で量が一瞬でバグり、茹で上がるころには地獄のような麺が渦巻く事になる。何故パスタは茹でると増えるのか。勝手に増えないでほしい。

 

脱線しました。

そんな暑苦しい毎日を呪いながら、ふと、介護施設での「恐怖体験」的な思い出がよみがえった。夏と言えば怪談という安直なアレコレである。

うちのもう1人が帰宅するまで、つらつら綴ってみる事にする。

 

 

介護職をしていると言うと、聞かれる内容はたいてい決まってくる。

 

「しんどくない?」

しんどい

「何でそんな仕事してるの?」

しんどくても可愛い年寄りいっぱいおるし面白いんじゃ。

認知症の方と話すの楽しいんじゃ。しかし君ストレートに失礼だと思わんかね???

「年寄りの糞尿とか触れない」

触らなくてよろしい、私も素手で触ってはいない、投げられない限り。

 

大体こんな感じではあったが、意外と興味津々に聞かれるのが、

「怖い体験談とか聞かせて!」

である。やっぱり人間怖い話は大好きなんだなぁ…と聞かれるたび思う。

過去7~8年間の介護職の中で、言うほど多くの「遭遇」はなかった。はずだ。

 

 

私が人生最初に介護として入職したのは、とある療養型病院の1つである。地元としては大きな病院で、最初に建てられた病棟・精神病棟・老健と、同じ敷地に三つの建物が並んでいた。

今では特養やサ高住にも手を出しているらしいが、あの状態でどう運営しているのか…人手不足は世の常です。

私が配属されたのはそのうちの1つ、特殊疾患を主とする病棟。仮にA病棟としておこう。

A病棟は私が入職する前から、1番「出る」と評判だった。先に入職していた母からも聞いていた話だ。

 

 

私は昔から怪談や怖い話が苦手で、入職前は「夜勤なんてムリムリ暗い道だって怖いのにムリ」と思っていたものである。が、人間環境が変われば中身も変わるもの。

病院の夜勤は戦争だ。早番が来る朝までに、総勢50名のオムツ交換を2回、人によっては3回行う。夜勤介護は2人態勢だったので、手分けしても1人で60~80人のオムツ交換をしなければならない。開けては閉じ開けては閉じ、まるでオムツ版・賽の河原。

加えて、翌日の準備、朝食の準備、トイレ介助のコールにも対応しなければならない。

怖がってはいられないのだ。仕事が進まないし、何より眠らない認知症はコールをやたら鳴らす。ガンガン鳴らす。

怖くないのは、人の気配があるから、というのも理由の1つだったろう。

起きようと思って、ともぞもぞし始める年寄りを華麗に寝かしつけ、反対側の年寄りが起きそうになれば「起きるな起きるな」と念を送りながらソーッと病室から出ていく。

 

と、やっと落ち着いたころ、ナースコールが1つ鳴った。

ステーションにある停止ボタンを押すが、ここで私は首をひねった。

ありきたりな流れではあるが、今ナースコールが鳴っているベッド、数週間前すでに亡くなられて空きベッドであるはず。

鳴っているからには行かないわけにはいかず、機器の不調で勝手に鳴っているのだろうと考えた。もしくは、目を盗んでもぐりこんだ徘徊患者かもしれない。

ハーイ、と控えめに返事をしながら覗いてみるが、案の定誰もいない。ベッドは空のままだし、真新しいシーツはシワ1つない。

まぁナースコースもボロいから…と目を向けた時、もう一度首をひねった。

ない。ボタンはおろか、コードすら繋がっていない。

 

こういった、鳴るはずのないナースコールが鳴る、というのは良く聞く話である。場合によってはトイレの個室内で鳴る事もある。いつのまにトイレへ、と見に行くも、もちろん誰もいない。

最初こそ不気味に感じるものの、何度も何度も鳴らされると段々イライラしてくるのが人間である。夜勤中の介護士は猛獣と同じ。

4回目のコールを鳴らされた時、つい

「いつまで遊んでんの、はよ帰りなさい」

と言ってしまった。オバケに反応しちゃいけないんだっけ、と思いはしたが、その後ナースコールは一切鳴らなかった。

帰ってもいいといわれたから、おとなしく家へ帰ったのかもしれない。

 

 

また別の日は、病棟内のラウンド(見回り)をしていた時の事である。

余談だが、このラウンドの最中に年寄りが亡くなっているのを2回ほど発見したことがある。「あれ?動いてなくない?」からの「エッ息してない?」は、非常にキモが冷える瞬間の1つ。

病棟をぐるっと回り、患者を起こさないよう室内を見て回る。時々起きていた患者から声をかけられることがあるが、あれは本当にびっくりするから出来れば控えていただきたい。心臓に悪い。

その時通りがかった西側の病室で、ナースさんがタンの吸引をしていたのが視界の端に移った。その部屋は要観察の患者がいたため、部屋の電気はつけていた。

顔は見えなかったものの、真っ白い制服のスカートにナースシューズ、患者の上へ屈み込むその姿はナースのOさんだった。

「ああ、Oさん、●●さんの吸引してんのか…」と思いながら、あくびをかみ殺した時に気が付いた。

 

Oさん今日いねぇや

 

その間2秒ほどだったと思うが、後ろ向きのまま病室前まで戻ったとき、そこには誰もいなかった。

当日の夜勤ナースはNさんとSさんで、Oさんはそもそも出勤すらしていないし、時間も0時を過ぎようかというころ。

ごくり、と喉を鳴らしながら、私はそのあとずっと、ステーションで誰かにくっついて過ごした。私だけが怖いのは理不尽だ!とその時あったことを洗いざらいしゃべったら、Nさんに「やめてよコワイ!」と怒られた。理不尽である。

今考えれば、スカート姿のナースはA病棟に1人もいない。誰が勝手に入り込んだのか知らないが、私は誰を見たのか謎のまま、それ以降は出てこなかった。近づいてくるとかいうヤツじゃなくて本当に良かった。

 

 

病院にしろ施設にしろ、コワイ体験というのは大なり小なりあると思う。全開だったのに振り向いたら閉まってるドアとか、人のいないトイレ内からコツコツ音がするとか。やめて静かにふんばってて。

そのあと別施設に転職してからは、幸いそういう体験はなくなった。やはり病院の方が出やすいのかもしれない。あまり使われていなかったものの、一応霊安室もあったことだし。

施設へ勤めだしてからは、徘徊する利用者の方が怖かった。

想像してみてほしい。緑色の誘導灯が薄ぼんやり光る中、廊下の突き当りで、真白いカーテンが人型に膨らんでいるのを。

ヒェッと固まっていると、それがもぞもぞ動いている。足はある、大丈夫オバケじゃない。

何となくアンパ○マンを歌いながら近づいてカーテンをめくると、飛び上がって驚く年寄りがそこにいた。

またある時は、真っ暗な食堂の椅子にただただ座っていた。

エントランスのソファに座っていたこともある。

台風が酷かったときには、「外からコンコンって音がするの、息子が帰ってきたから開けてやらなきゃ!」と窓を開けようとする。私は基本的に危なくなければ、気が済むまでやりたいことをやらせるタイプ。

だが、この時ばかりは全力で止めた。風の音だから!今日台風だから!このやりとりを3回ほど繰り返した。

 

生きている人間の方が怖いってのは本当なんだなぁ…と思いつつ、いや違う、多分こういう事じゃない、とすぐ我に返った。

恐怖体験は出来ればしたくないが、夜中に眠れず出てきてしまった年寄りとは、手を繋いで施設内を散歩してみたりする。

どうしても眠れないようなら、事務所にちょっといてもらい、一緒に取り止めの無い話をする。

体力的にしんどいので夜勤はなるべく控えたいが、私はこの夜中のおしゃべりが好きだった。

その人が何を考えているのか、どんな人なのかを知るには、一見トンチンカンな会話もとても重要な1つだ。彼・彼女らが何を大事にしているのか、今までどうやって生きてきたのか、何をしてきたのか。

昼間は忙しくてなかなか取れないコミュニケーションも、静かな夜であればじっくり話せる。

畑仕事をしていた年寄りは、「畑いかにゃ!取ってこにゃ!」と起きだしてきたりするから、私も手伝うよ~と手を繋いでぐるぐる歩く。

歩いているうちに何をしようとしていたかを忘れてしまうから、あとは「もうちょっと寝ようか」と布団に送っていく。

利用者を頭ごなしに否定するのではなく、無駄に見えるようなそういった対応と適応力も、介護に無くてはならないスキルだと思う。

 

 

そんなところで帰るコールがきたので、今日はこの辺で失礼します。

とりとめもなくダラダラ打つの、とても楽しい。

私と文章について本気出して考えてみた

大した本気は出ません、ヒダリです。

某高圧洗浄機のCMを眺めながら、どうしたらこんなに汚せるんだと疑問に思う日々を続けています。

 

私という人間は、非常にふわふわしている。

自分の長所短所はふんわりと把握できているものの、子供時代から人の顔色を窺う癖がついてしまっているせいで、自己表現に乏しい。なんて小難しい事を考えているわけではなく、自分がどうしたいのか、それを貫き通す胆力が無い。プレッシャーに弱い。

アラサーを飛び越えた今でも実家時代の事を思い出すので、浄化されるかはわからないけどぼそっと吐き出してみる。

 

生まれは違うが、某映画の題材にもなっている埼玉県で私は育った。ちなみに本当に何もない。畑。延々茶畑が続き、その先にごつごつと山がある。映画を見る時は新所沢のパルコ。他に映画館はほぼなかったから、そこで上映されていない映画はあきらめるしかない。

父親はいないし顔も知らない。母は私を一人で介護職を続けて育て上げてくれた。とても感謝しているし、尊敬もしている。

子供というのは、無条件に親が全てだと思う。親が自分の世界のトップ。CEO。クビ宣告されたら生きてはいけない。私はそれが25年間続いた。

私の母親は20の時に私を生んで、娘の私が言うのもアレだが若くて綺麗で、授業参観で皆がざわめく度ひっそりと誇りに思った。だけど、割と頻繁に理不尽の嵐が吹き荒れる。

考えても見てほしい。小学校低学年の子に、「洋服ダンスに入れる防虫剤を買ってきて」とだけ伝えて、匂い付きかそうじゃないかがわかるだろうか。私はまんまと匂い付きの物を買ってしまい、大層怒られた。匂い付きなんてアンタ嫌じゃないの!?と言われたのを思い出す度、やはり理不尽だったなぁと今でも思う。余談だが、私はあの防虫剤の匂い、嫌いではない。

世間で話題になるようないわゆる強烈な毒親では無かったと思うし、私も母へは大層迷惑をかけた。若い頃クレカでやらかした事もある(今は自分で完済済)。けど、そういった小さな毒を私はいまだに思い出す。

母は、良くも悪くも「常識」に縛られた人だった。「普通」じゃない事は理解できないし、高校卒業後V系やゴス服にハマった私を「気持ち悪い」と言っていたし、テレビなんかで流れる同性愛に関しても平気で「気持ち悪い」と言う。だって変だから。自分が理解できない事は気持ち悪い、だって変だから。

高校三年生になった頃だろうか、母は再婚した。私は度々母から聞く話や直接会った印象で反対した。母が彼の家へ泊りに行って、喧嘩して都内から歩いて夜中に帰ってきた日もあった。これで納得するだろうと思いきや、母はそれでもお花畑状態だった。

漫画の専門学校へ行きたいと思っていた私に対し、その人は金は出してやるから行かせてやればと言ってはくれていたが、明らかに失敗するであろう再婚をぼんやりと見送ってまで行きたいとは思わなかった。だから反対していたが、「専門のお金出してもらおうとしてるくせにアンタも図々しい」と言われた。高校の先生に相談しながら泣いた。別に母が別れるなら、専門に行けなくてもよかったのに。

 

向こうの人間性もだけど、我が強い母とは絶対にうまくいかないと思った。案の定、スピード再婚・スピード別居と相成りました。同居期間は一年弱。そんな彼の口癖は「お前らは異常だ」。ある意味母と似てると思った。結局専門学校のお金は最初だけ出してくれたが、残りは渋りに渋って高圧的になっていたので、別居が決まっていたのもあり国民金融公庫で借りた(これも自分で完済済み)。私はその頃本気で漫画家になりたかったし、頑張るつもりでいた。だが母は面白く思わないだろうとも思っていた。彼女なりのプライドか、表向きは応援するような事をいうものの、会話の端々で「安定した収入と正社員」を求めていた。わからなくもないし、私も親の立場なら一度は反対するかもしれない。デビューしたとして、いきなり稼げるかは綱渡りの職業だ。投稿しようと思っていた原稿を自室でせっせと描いていた時、「そんな事してる場合じゃない」と言われて心が折れた。

 

初の社会人デビューは、大手携帯会社の正規店。登録から説明、販売もする正規社員。余り詳細は上げられないが、激務とクレームの嵐、本社のぐずぐずっぷりで一年と少しして辞めた。母は最初私が介護なんて出来るわけがないと反対していたものの、元々可愛いお年寄りは好きだったから、ヘルパー2級の資格を取り、母が務めていた病院へ入職した。これが介護職になったきっかけ。ハマりにハマって結局この後7、8年ほど続けることになる。

 

話が前後するが、専門学校に入ったあたりからいわゆる二次創作にハマり始めていた。在学中に自分のHPを作り、小説メインで毎日キーボードを叩き続け、ある時「WEB拍手」からコメントをもらった。ランキングに登録していたからカウンターはそこそこ回っていたけど、顔も知らない人からコメントを頂いたのはその時が初めてだった。飛び上がるほどうれしかった。自分の文章を読み返すのが好きな自分が今読み返しても、思わず顔を覆いたくなるほどへたくそで、自分の熱量だけを押し込んだ小説。それを、顔も名前も知らない誰かが、「すきです」と言ってくれた。

 

それまで自分の世界が実家と学校だけだった自分にとって、ものすごく不思議な感覚で、サイト内にある自分のブログに凄い、ありがとう、繋がってるって凄い、と思いのたけをぶつけた。それに対しても、本当ですね、繋がってるってすごい事だとコメントをもらった。多分、その辺りから私は文章を書く事が好きになった。自分の文章を、顔も名前も知らない誰かが読んで、何かしらの感情を持ってくれる。共感してくれたり感動してくれたり、それは凄い事だと思った。

あの時初めてコメントをくれた知らないあなた、本当にありがとうございます。

 

25歳の頃、良く行くバーのバーテンダーに惚れた。ゴス服メインだった自分が女子っぽい格好をし、店に通い、営業時間外でも会うようになり、めでたくお付き合い。まぁ向こうに色々あって長くは続かなかったし、向こうとしてはそんな好きではなかったのだろうなと今では思う。大人になったものだ。

その頃出会った友人達と、自分の価値観の違いに少しずつ目が覚めていく感覚がした。それまで私の世界は母親が囲った円の中だけで、一歩外に出た私にとって衝撃の嵐だった。自分がやりたいことをやりたいと言ってもいい、「ちゃんと」してなくてもいい、自分を肯定してもいい。死んでた私の自尊心を、友達がちゃんと育ててくれた。

 

この時の私の衝撃ったらない。うちの母は「褒める」なんてほぼしたことが無くて、面倒そうにあーすごいねって子供をなだめる様な事しか言わなかった。もっと褒められたかった。自分はダメな人間なんだとずっと思っていた。その時から、また過去に諦めていた「もの作り」への夢がむくむく沸いてきた。

 

26か7歳くらいの時、別の人とお付き合いをし始め、同棲の為に他県へ引っ越して現在に至る。が、こちらに来てから介護の就職は難航した。

病院でのハードな経験があったから、どこにでも入れるしどこででも通用する。引っ越してから最初に務めたところでは、皆が全部のスペシャリストという目標の元、なんでもやった。現場だけでなく事務作業やレセプト、利用率の作成から連携機関への依頼、調整、担当者会議、もろもろ。覚える事は沢山でとても楽しかったしやりがいもあったけど、夜中もバリバリ鳴るオンコール、夜勤からの無茶なシフト、休日も出勤しなければ間に合わない仕事量に、このままでは体が持たない、と気付いた時には、すでに生活が仕事ありきで動いていた。

 

直属の上司がまず理不尽に耐え兼ね退職届を叩きつけた。代わりに施設長となったマネージャーのやり方で施設の経営方針も180度変わり、ご家族様もこっそりと私に「あの人さ…」と相談されるようになった。前施設長がものすごく慕われていただけに、ギャップも半端ない。このままでは続かんな、と思い、私もサクッと退職。家からも近いし給与も介護にしてはそこそこだったけど、私生活と彼をもっと大事にしたかったから。

 

その後の2018年、一年間で二か所就職して、どちらも退職した。今まで勤めていた所とのギャップが酷過ぎた。施設長は現場を把握していなければ見ようともせず、丸1日事務所から出てこず、そもそも面接時の雇用条件と実際が全く違っていた。

近年、他業種がどんどん介護業界へ参入してきている。支援金目当てに乱立するサ高住や有料ホーム、建てたは良いものの人手が足りず回らない現場。

介護福祉士も取って経験も積んだ。沢山の事をやらせてもらってきた。最後の介護施設を辞めた途端、「もういいかな」という気持ちになっていた。

 

介護の仕事は好きだ。現場の雰囲気が良いところが多かったのもそう思える要員の1つだけど、お年寄りが昨日までできなかった事が出来た時、発語が少ない患者さんが私の話に返事をしてくれた事、可愛い顔で笑う人、すごく楽しい。だけど、気付いたら少し介護から離れたくなっていて、数か月ニートを続けた時、最早今の介護には戻りたくないなと思い始めていた。

 

じゃあ他に何が出来るのだろう。介護職を続けていた人がつまずくのがここだと思う。介護職を続けていると、一般企業とは全く違う特殊な空間のせいで、キャリアチェンジが難しくなる。私は何が出来るんだろう。そう考えて悩んでいたところに、ふと、初めてコメントをもらった時の事を思い出した。

小説かイラストを描きたい、ライター業とか、文字を打ちたい。それしかなかった。2019年の今年は、私はやっと大殺界を超えたところだそうだ。芽吹き始める時期、今だ、だから上手くいかなかったんだ、と都合よく考える事にした。減り続ける貯金を前にようやく焦りだした私は、あちこちの副業サイトやフリーライターさん達のブログを読み漁り、サグーワークスに登録した。今思うとサグーは初心者にとってとても入りやすい、わかりやすい形式だった。

 

それでも怖気づいた私は、「本当に私に出来るのか、生活していけるのか、彼に迷惑はかけられない」と、何度も介護の仕事に逃げようとした。とりあえずパートででも、と面接もいくつか受けたけど、開いた口がふさがらない所ばかりだった。自宅周辺が良かったけど、ブラックで有名な所しかない。ダメだ、やっぱり今のこの世界には戻りたくない、と再確認しただけで終わった。

一番最初に、200文字100円くらいの簡単な文章を投稿して、無事承認。その時の感動ったらなかった。掲載サイトをこっそり見に行って、反映されているのを見てにやにやした。今見返すと…読みづらいなって思ってしまうんだけど…(笑)

 

それから本格的に金欠になってきた私、通帳に尻を叩かれて、まずは数百文字の簡単なタスクをちょこちょこ上げ続けた。順調に承認されていき、自分の力量を知る為と収入の為に、プラチナライターテストを受けてみる。実に四時間。時間はかかったもののそこまで難しいと感じなかったので、もしかしたら落ちたかもしれないなぁと思っていた1週間と3日。凡ミスで非承認になってしまった記事にしょんぼりしていた時だった。メールが来た。メールの件名から覗く「合格」の文字。1人で飛び上がってしまった。勿論合格しただけでいきなり収入ガッツリ増えるわけではないけど、やっとスタート地点に立てたような気分だった。

 

これから先、またどこかに務めるのか、無収入の恐怖に耐えながらライター1本でやっていくのかはわからない。まだ駆け出しのヒヨッコライターだけど、出来れば文章で食べていきたい。いつかシナリオライターもやってみたい。そう思わせてくれたのは、あの日のたった一つのコメントのおかげだろうな。

ありがたい事に承認時にもらうアドバイスから、自分の弱点も見えてきたので、これからどんどん文章と構成力、あとスピードを磨いていきたい。先日名文認定をもらった600文字のコラム、すごくうれしかった。だけどタイトルしか確認できないからどのコラムだかわからない。たぶんあれ。

 

と、ここまでで約4800文字、2時間かからないくらい。頑張って5000文字もサクサク書けるようにしていきたいなぁ。頭で考えられる文章と調べ物が必須になる書き物はやっぱり違いますね。明日は飲み会です。ふふ。日本酒飲んだくれてきます。

長野で起きた介護事故の判決と介護事情を考えてみた

桜がもろもろ咲き始めました。ヒダリです。

家の目の前ににはちょっとした公園があり、春になると桜の木から花弁がわらわら飛び込んできます。綺麗なんですけど掃除が……

 

先日、長野県の特養で起こった介護事故に対して行われていた裁判の判決が出ました。こちらにわかりやすい記事があったのでリンクを貼らせていただきます。

www.chunichi.co.jp

要点をまとめてみます。

 

1.入居者女性は嚥下(えんげ・飲み込む力)障害は無く、食事形態を常食からゼリーへ変更していたのは嘔吐の対策の為であり窒息予防ではない。また、特に要注意が必要な方ではなかった

2.上記の変更点は看護師が把握できる環境ではなかった

3.入居者女性には食べ物を口腔内へ詰め込む行為が多々見られた

4.おやつとして配膳されたドーナツを喉へ詰まらせ意識消失。そのまま意識は戻ることなく約一か月後に亡くなられる

 

詳しい時系列が引用先の下の方に載っています。この事件の論点は「低酸素脳症を引き起こす原因がドーナッツを詰まらせた事であり、それを防止するべき注意を怠った」点ですが、ではそれを完璧に避ける事は出来たのでしょうか。嚥下障害もなく、要注意も不要で自力摂取が可能なのであれば、ある程度目の入る位置にいつつ、他の要注意が必要な利用者のケアへ回るのが相当です。更にこの施設では、出来るだけ食事を流動食にはしたくないという考えがあるとの事。食に関しては特に思いを巡らせていたと思います。

私はこの施設を拝見したことはないので、その時の状況や日頃の様子を知る事は出来ません。ですが、この事件に関して沢山の動きがあり、介護現場の萎縮を招くとして医療・福祉関係者45万人の署名が集まったことを考えても、この看護師の方が適当なケアをしていたとは思えないのです。職員の中には、確かに適当な考えをして適当なケアしかしない人もいます。でもこのケースは違うんじゃないかな。

 

介護事故による死亡で裁判が行われた例を調べてみたのですが、まぁ出るわ出るわ、具体的に何件、と挙げてみようと思いましたが、数が多すぎて断念しました。介護事故は色々な原因から起こります。それこそバタフライエフェクトのように、どんな小さな事が原因になるかわかりません。ありがたい事にご家族様の中には、「事故が起こらないわけないから」という理解を示してくださる方もいらっしゃいます。ですがその一方で、薬や寝たきりを極端に敵視するご家族もいらっしゃるのです。

転倒が多く、認知症の影響で夜間も不眠、昼も夜も歩き続けるから体にも負担がかかりまた転倒に繋がる。こういった利用者も沢山いらっしゃいます。夜間の睡眠がとれるよう、様子を見ながら少しずつ眠剤を処方したりしますが、それすらも拒否されるご家族様もいる。ここは薬を使わせたがるから他の施設に行こう、と移った先で転倒転落のオンパレード。この場合、どうすれば防ぐことが出来たのでしょう。時間をかけてご家族様と話し合っても、理解を得られるとは限りません。

このように、介護事故は「誰が、どこが悪い」と断言するのはとても難しい、デリケートな問題です。我々介護職員には、もちろん事故を防止する義務があります。毎日人がいない中でも利用者の状態を把握して、上や看護部へ報告して、情報の共有が重要になります。なので、私はその情報共有が全くできない施設に当たり、どうしても改善が見られない時は、他の施設へ移りました。

介護を受ける・提供する上で重要なのは、「何を優先したいか」だと思っています。

ご家族様とご本人が、「歩きたい」のか「徹底的に事故を防ぎたい」のか「好きなものをいくらでも食べさせてやりたい」のかをきちんと話し合い、そこに付随する問題をどうするか。歩く為にはある程度の転倒リスクは仕方ないと考えるのか、徹底的に事故を防ぐならばご本人の意思をある程度抑え込むのか、好きなものを食べるならば誤嚥の危険を承知しておくのか。そのあたりのすり合わせをきちんとしたい所です。

 

あまり思い出したくない過去ですが、実は私自身も二件ほど介護事故を起こしています。死亡事故ではないので重さが違うとは思いますが、介護業界に入ったばかりの頃、もう10年近く前のまだド新人だった時代です。

お一人は車いすからの転落で額のコブ、もうお一人は骨折してしまっていました。骨折の時には私は真っ青になって、クビも覚悟しました。迷惑をかけたと他の人皆に謝って回り、診断結果が出る予定の休日に看護科長へ電話して経過を聞きました。今思い返しても胃が締め付けられます。原因はどちらも時間のなさと、一人それを煽るおばさまがいたので余計に焦ってしまった事です。人のせいにしているわけではなく、遡った一番最初にあったのが「焦り」です。

私一人の首一本で骨がくっつくわけでもないと分かっていてもつぶれそうになった私に、科長や現場の皆が「いずれ起こる事だった、それがたまたま貴女だっただけの話だから、貴女に出来るのはそれを今後どう活かすかと、どう下の世代に伝えていくかだ」と言ってもらえました。介護業界大先輩の母にも同じことを言われました。

今現在、介護の事故や虐待のニュースが増え続けています。そのニュースを見たうえで、犯人探しやレッテルを張るのではなく、原因と対応策をいかにしていくかを相談するのが、介護界を存続させていく重要な事ではないでしょうか。

 

思いのまま打ったのでボロボロですが、誰も介護のなり手がいない、介護業界が全滅、なんて事にはならないことを祈っています。

英国紳士 アラン・リックマンの話

眠気の権化、ヒダリです。

春だろうが冬だろうが眠気には子供の頃から勝てません。

 

先日Netflixラブ・アクチュアリーを見つけ、テンションうなぎ上りで早速再生。内容がとても面白いのもあるんですが、出演陣の中に、先日亡くなられたアランリックマンが出演しているのです。配役は会社の部下と浮気未遂をするOH…な役柄。眠たそうなアランの目に上司役が良く似合う。と、思う。

 

あれは確か、高校一年生の頃だろうか。年齢がばれてしまうがまぁ困る事はない。当時一大ブームを巻き起こした児童小説、ハリーポッターと賢者の石が実写映画化されたとあって、テレビやら雑誌やら、あちこちで大々的に宣伝されていた。私の周りでも度々話題に上がっていて、真っ先に友達から見に行こうと誘われた。その時はまだ原作を読んだ事が無かったので、何となく面白そうだという印象しかなかった。当時既にファンタジーは好きだったし、CMで見ただけでも不可思議な世界が目の前をちかちかした。余談ではあるが、ダニエルラドクリフ演じる主人公ハリーポッターの吹き替えは、今やすっかり有名声優となった小野賢章氏だ。

 

ちょっぴり田舎の映画館で、上映時間2時間39分間で、高校一年生の私はすっかり魔法にかけられた。陳腐な例えではあるが、そうとしか言いようがない。壁一面の大きなスクリーンに、所狭しと迫る『魔法』。ファンタジー大好きな高校一年生は頭がくらくらした。トイレを我慢していた事も忘れ、頭の中はハリポタの不可思議な映像が何度も何度も繰り返し流れていた。残念ながら記憶力は良くないので、くまなくとは言えないが。

小さくてふにふにの可愛い子役たち。ふかふかの髭がお茶目で魅力的な校長先生。きりっと背筋の伸びたマクゴナガル先生。動く階段に絵画まで喋る世界。その中で一人、真っ黒いローブを引きずるとにかく怪しい先生がいた。その後私が心血を注ぐ事となる、セブルススネイプ先生だ。とはいえ、第一印象はうさんくさいおじさん程度にしか思っていなかった気がする。それがいつから恋心じみたものになったのか、最早良く分からない。映画を見たその足で、当時なけなしの月5万にも満たないバイト代を手に、発行されている分全ての原作小説を購入した。元々小説はそこまで読むタイプではなく、中学生の頃にスレイヤーズ(これも私の青春だった)を全シリーズ読破していたくらいだった(あの時スレイヤーズをすぺしゃる含め全シリーズ置いていてくれた中学校の図書室に感謝しかない)。

原作の分厚いハードカバー本を前に、私はほんの少しおののいた。分厚いながらもさくさく読めると前評判で聞いていたので、逸る胸を押さえながら、表紙と遊び紙をめくる。それが全ての始まりだった。

 

スネイプ教授は、とにかくハリーを憎んでいた。だけど何故か要所要所でハリーを助け、何かと損な役割をしていて、謎めき過ぎた教授だった。私はまだ家に来たばかりのPCを開き、片っ端からファンサイトを漁った。深い考察をしているサイトは読みふけったし、朝も夜も忘れて本を何度も読んだ。そうこうしているうち行き当たったのが、あの『うさんくさいおじさん』ことアランリックマン氏だった。

当時彼は55歳ほど。30代の設定であるスネイプ教授を演じるにはやや歳が行き過ぎていると言われていた。確かにちょっと、お腹がぽよぽよしてはいた…とはおもう…うむ。だがそれを補って余りあるほど、アランは魅力溢れる俳優だった。小娘だった高校一年生をも叩き落したくらいの。

やがてハリポタシリーズだけでは足りなくなって、過去の出演作を調べに調べて買い漁った。ダイハード、ロビン・フッドいつか晴れた日に、シャンプー台の向こうに、ドグマ。残念ながらラスプーチンは当時どうしても見つからなかった。しがない学生アルバイターのバイト代で足りない分は、クリスマスプレゼントでねだったりして。

 

ダイハードでは悪役のドン。事あるごとに第九を口ずさむのがとても可愛らしいが、ラストはビルの屋上から落下。スローで落ちていく様が中々シュールだった。

ロビンフッドでは中々ヒステリックな悪役で、主役を食ってしまったと今でも囁かれている。「スプーンで心臓を抉り出してやる!」というセリフは、ファン達の間でも合言葉のようになっていた。そして必見なのは、ヒロインの足を自分の足でパーン!!て開いたシーン。まさに( ゚Д゚)な顔をして何度もそのシーンを巻き戻してしまったほどの衝撃。

いつか晴れた日にではブランドン大佐役。とても紳士で美しい役でした。過去に女性と辛い思い出がありながら、マリアンヌに恋をして、右往左往して、というとても良い人。とにかく良い人。紳士的に、でも本人なりに積極的に頑張る。大佐頑張る。つくづく、氏には英国紳士が良く似合うと思います。

シャンプー台のむこうにでは美容師役。ハサミに絡む長い指、びしりと突きつけられるハサミ、そして終盤にちらりと現れる足裏のタトゥが最高。激しいアクションなどはありませんが、全体的にゆったりとした時間が流れ、色気のある氏が見られます。

そして忘れちゃいけないのがドグマ。アランはかの有名なメタトロンという天使役として登場します。これがまたおもしろい。キリスト教を元にしたコメディ映画ですが、その内容はドがつくブラックユーモアたっぷりのお下劣映画。海外では上映禁止運動が起こったほどだそうです。羽根を生やしながらのいつものウンザリ顔がひっくり返るほど素敵なのですが、ズボンをズバッと下ろすアランを見られるのは恐らくこの映画だけだと思います(笑)もちろん天使役なので、作り物のツルッツルな股間なのですが。草生えます。何でも許せる方向けの映画。

 

アランの魅力はその紳士的な所作と演技力ももちろんですが、中でもファンが口を揃えて言うのが彼の美声です。ミルクチョコレートにも例えられる低音ヴァリトンボイス。あのとろけるような囁きでやられた女性は数知れず。

スネイプ教授の吹き替え役を務められたのは土師孝也氏だったので、未だに土師さんの声がテレビからするとガバッと振り返ってしまう癖がつきました。逆にアランの吹き替えを別の方がされているとすっかり違和感が残るように…(笑)

 

そして件のラブアクチュアリーですが、ラブコメディではあるものの、泣き所あり爽快感あり。沢山の主人公がおり、それぞれのラブストーリーが繰り広げられています。登場人物が皆知り合いとして繋がっているのですが、そういった設定が大好き。この人が実はこの人と友達だった、という。その中でアランはデザイン会社のボス。奥さんと子供もいるが、部下である小悪魔ミアのアプローチにうっかり落ちかけてしまう。

奥様との買い物中、大胆にもミアへのクリスマスプレゼントを購入。ラッピングにこだわりまくる店員、早く早くと気が気でないハリー(アラン)、わかりました電光石火で、と言いながら花を散らす店員、トレードマークでもあるしかめっ面でうんざりした様子のハリー。この店員、Mr.ビーンでも有名なローワン・アトキンソンが演じていて、コミカルに磨きがかかっています。結局この後奥様がいらして購入は未遂に終わるのですが、別日に改めて購入したプレゼントを奥様が発見し、自分へのクリスマスプレゼントと勘違いして嬉しそうにする顔が切ない…。二人は後々きちんと仲直りします。

 

アメリカへ旅立ってしまう女の子を追いかけるサムのシーンもとても可愛い。空港でのダッシュシーンは思わず頑張れ!!と呟いてしまう。実はここで潜入の手助けをするのにも、ローワン氏が登場しています。目配せをしてちらりと笑う所を見るに、ハリーとの会計シーンで時間をかけたのもわざとなのか…?と思ってしまう。

見どころ沢山、見終わった後にはほっこりした気持ちが残るので、まだ見ていない方はぜひおすすめします。

 

アランリックマン氏のWikipediaに享年の記載がされたのは2016年。衝撃で、何度も何度もネットニュースを検索して読み漁った。膵臓がん。享年69歳だった。お歳もお歳だったし、自然の摂理には逆らえない。

素晴らしい俳優の誕生に感謝をしつつ、彼の出演作を今日も眺めている。

介護職と気持ちと心意気

今日は雨です。どうも、寒さを理由にコタツから出られないヒダリです。

 

文字を打ちたいけども特に思い当たるネタもなく、何となくやる気が出ない。雨の日だったり気圧だったり、そんな日は何をしてもダメで、そもそもとにかくやる気が出ないのでどうする事も出来ない。間が悪い事に、今私が住んでいる部屋は雨が降るとテレビが映らない。管理会社に連絡をしたものの、「業者に伝えておきますね」と言われたきり何の返事もないままである。別件で連絡した時もこちらから連絡するまで特に返事はなかったので、きっと件の業者さんは遠い海の向こうにあるのだろう。ロシアあたりとか。

雨だけど外出の予定はあるので、待ち合わせの時間までぽちぽちと取り止めのない事を書いてみようと思う。雨だけど。

 

先日から、うちのもう一人が風邪気味だとぐったりしている。

喉が痛いと始まり、熱はないけど体のだるけも凄いらしい。顔が死んでる…朝イチで思わずつぶやいた。死にそうな顔で「きょうはやすむ」と唸ったかと思えば、同じ顔で「やっぱり行く」と言い出して、思わず行くの!?と返した。そんな調子でよたよた仕事へ行く、止めても休みを勧めてもよたよた出て行く。日頃あれやこれやと自由人であるうちのもう一人だが、ズル休みだとか筋の通らないいい加減な事は嫌いなタイプ。偉い。偉いぞ。でもちょっとずれてるぞ。

とりあえずそんな調子なので薬をいくつか買い足しておいたのだが、ここからまた一悶着。過去に買っておいた別の風邪薬を引っ張り出して、顆粒の葛根湯と一緒に飲もうとする。反射的に取り上げつつ、でゅくし!!と額を小突いても、イマイチ良く分かっていない様子だった。

「え?え?何で、葛根湯だよ?ルルと一緒に飲m」

「あかん、薬を一緒に飲んじゃいかん、成分が被る」

「え、じゃあもっと効くんじゃn」

こんこんと説明しても、その時は理解しきらぬまま、結局一緒に飲みよった。後に聞いたら、葛根湯とは栄養剤的なものの事だと思っていたらしい。そもそも漢方は完全無害だと思っていたようで、しつこく説明したらそれ以来複数飲むのをやめた。

 

どこかで見た光景だなぁと思ったら、何の事はない、認知症のお年寄りがよくやるあれだ。薬の危険性を説明した所で把握もできず、薬の管理が出来ない。勝手に何錠も飲んでしまったり、出された薬を勝手に辞めたりトイレに流したり、口へ入れたのを確認しても、上手い事舌の裏に隠して後から捨ててしまう人もいる。

あれを常々不思議に思っていた。何故そこまで薬を嫌がるのだろう。いつも本人に聞いてみるのだが、これまで一度も的を射たような返事をもらった事がない。こういった理解しがたい事を推測してみるのが好きだ。答えを決めつけるのではなく、推測して、自分なりに考えてみると、それまで見えなかったものが見える事もある。それがぴったりはまると、思わぬところで利用者さんからの信頼を得る事が出来たりもする。

その瞬間がとても楽しい。

人間とても難しいもので、仲良くなろうとするのはとても良い事ではあるが、大事なのは相手の顔を見る事だと思う。相手を良く知りもしないうちから、一方的に距離を詰めようとぐいぐい行くと、気まぐれにプイとそっぽうを向かれてしまったり。まずは呼びかける時に名前を一緒に呼ぶところから始める。関係性を作るのに、飛び級というものはないのだ。

そうは思ったところで、薬を嫌がる答えについては誠意模索中のままです。うーん。

 

昔の職場にいたお年寄りで、まぁよくある話ではあるのだが、何度でも車いすから立ち上がり、自分でトイレへ行こうとするお婆ちゃんがいた。歩行も危ういからと車いすを強制され、立ち上がろうとする度に、ちょっぴり口が過ぎるオバサマ職員にガミガミ怒られ、しょんぼりしながら車いすへ戻っていた。今でもよく思い出せる、小さな小さなお婆ちゃんだった。その時まだ新米小娘だった自分は、オバサマに立ち向かう胆力を持ち合わせていなかったのだ。今ならいくらでも何でも言える。そんなオバサマとディスり合いもできよう。

ある日の夜勤中、静まり返った夜中に、トイレ帰りの薄暗い洗面台で聞いてみた。どうして立ち上がっちゃうのかと。危ないよ~と言い添えて。

車いすから小さい手を一生懸命伸ばして、お婆ちゃんは手を洗いながら、「家に戻ったとき誰にも迷惑かけたくない、自分で何でもできるように練習してるんだ」ともにゃもにゃ答えてくれた。うっかり半泣きになった。

利用者や患者はそれぞれ自分の考えがあって、決して何も考えていないわけでもなく、子供と違って『出来ていた頃の自分』があるのだ。短期記憶が危うかろうと幻視があろうと、出来ていた頃の記憶がなくなるわけではない。認知できずに行えないという事はあるけども。そんな『言外の思い』をくみ取って素知らぬ顔でフォローするのも、私達介護職の仕事であるとぼんやり考える。

 

とはいえ、介護士も人間。顔に向かって納豆噴出されたり齧られたり引っ叩かれれば、ナニクソと思う時もある。むしろ7割くらいだ。世間では毎月のように介護での虐待が報じられるが、いつも苦い顔になってしまう。どちらの気持ちも分かるだけに。

分かるというと傲慢かもしれない。出来るはずだと考えてしまうのは本人も家族も一緒だ。特に介護に触れたことのない肉親は、やらなければ動けなくなるという強迫観念じみた思いが強い。引っ張ってでも引っ叩いてでも動かそうとする人も、中にはどうしてもいる。

一方で、介護職員は余裕がない。時間も分刻みでスケジュールを決められ、早く次へ行かなければ業務が成り立たない、扉を開いた先では失禁パレードが繰り広げられ、思わず開いた扉を一旦閉じてみた事もある。もう一度開いても、夢にはならなかった。追剥のようにシーツや更衣をしている間も、容赦なく他の人からのコールがなりまくる。しまいには鳴りもしないコールが耳にこびりつく。時間のゆとりは心のゆとりでもあると思う。人がいないから時間もない。時間もないから些細なイレギュラーも許せない。いつもいつも心がささくれ立って、利用者からは時々「お給金いっぱい貰ってるんでしょ」なんて言われてしまう。ギリギリです。

人を育てる環境、人を充足させる環境を今すぐ作るのは難しい。だからこそ、ちょっとお行儀が悪い職員もとどめざるを得ないのだ。業務が立ち行かなくなれば、介護報酬すら入らなくなるから。現場も、業務が回らなくなるとしんどいから。

人がいないというのなら、何故いないのか、どうして皆が辞めてしまうのかを行政レベルで考えてテコ入れしていかなければ、必須であるはずの福祉という仕事がぐずぐずになってしまうと危ぶんでいる。

介護も、障害も、保育も、外から人を入れれば良いというものではない。即戦力を求めるのも結構だが、その即戦力はいずれ動けなくなってしまう事を忘れてはならない。

 

と、まじめな事もたまには考えてはいる。たまには。

見切り発車でも3000文字近くは打てたからこれで良しとしておこう。準備をしてそろそろ出かけようと思います。大好きな日本酒に会いに。ふふふ。