目下ヒダリ向き

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フランスの介護施設と日本人介護士の絶望

毎食の献立に頭を悩ませているヒダリです。

なんかもういっそルーレット式にしたい。ポチっと。

 

本日のタイトルですが、以前勤めていた会社で海外研修旅行に連れて行っていただいた事があります。

それも愛の国フランス、おらそっただおシャンティな国行った事ねぇだ。

初めての海外だったので、パスポート取るにも駆けずり回ってぎーぎーしていたのを覚えています。海外コワイ、しかなく、行きたくないなぁとさえ思っていた。

自宅から出るのも億劫な引きこもりが海外なんてぶっ飛びすぎた。

その時の思い出を、ふつふつと湧き上がるまま書きなぐってみようと思う。

 

そんなガタブルしてはいたものの、海外の介護施設を訪問・見学できる機会なんてもう二度となかろうと、現地に着くなり一気にテンションが上がりました。

フランスでも大手であろう二社のいわゆる高級老人ホームのような施設を見学し、話を聞き、そこに働く人たちを見、私は絶望してしまった。

きらめいている。

高級施設だからというのもあるのだろう。施設内は手入れが行き届き、花壇の花もみずみずしい。独特の匂いも全くしない。

そして、そこで働いている方々を拝見して、私は絶望してしまった。

くたびれたり恨めしそうな表情なんて一つもなくて、顔つきも違うどころか、誇りさえ持っていた。

日本の介護施設と全く違う。

勿論日本にも素晴らしい介護施設は沢山あると思う。私がなかなかお目にかかれないだけなのだろう。

それでも私の知っている介護といえば、どんなに改善しようとしてもキツイツライと漏らしながら、腰を痛め認知症の方に暴力を振るわれながら、追い剥ぎのように排泄介助をこなして、ボロボロになりながらなんとかその日を済ませていく。

余りの衝撃に、暫く先輩と二人、言葉が出なかった。

すげぇ…うそだろ…しか話してなかった気がする。

 

あちらのマネージャー的な方が話してくださるには、向こうの介護士は皆、やはり誇りを持って介護の仕事をしているのだそうだ。

人生の終盤で、その方という人間を理解し、関わり、手助けをする。

崇高だ。

何度も言う、価格帯の違いもあるだろう。

費用を安く抑えれば、安かろう悪かろうになってしまうのはどこにでもあると思う。

それにしてもこの違いは何なのだろうと考えて、ふと、日本と海外の介護感の違いが大きい事に気が付いた。

例えばフィンランドなどの福祉大国のニュースなどでも話題になるが、海外は基本的に自然に任せる所が多い。

食べられなくなったら、形状を変えてまで無理に入れようとしたりしない。

徘徊するようになったら本人の気が済むように工夫をする。

不穏になったら、その人それぞれの対処法やキーワードを探る。

一番驚いたのは、先輩の一人がした「異食はないのですか」という質問に対し、イマイチ通じてないのか首をかしげていた。

そして、「食べてしまうなら食べられる花を置きます」と返ってきた。

 

うらやましかった。

私もそんな介護がしたかった。

利用者さん一人一人の「人となり」を知り、共有して、どうしたらいいかの工夫を上と話し合いたかった。

でも、それが許される環境が見つけられなかった。

最初に務めた病院が唯一ムンテラや申し送り、カンファをしっかり行っていて、主任やナース主任も介護に協力的だった。提案したら、いいね!それやってみよう!というとてもありがたい雰囲気だった。

最初がそんな職場だったので、そのあとのギャップはひどかった。

そもそも上が現場に興味がない。お抱えのCMは利用者さんがいつオムツを使っているのか、Pトイレはいつ使っているのか、風呂の種類もわからないといったグズグズっぷりだった。

そんな有様でどうやって認定調査に同席したのか。現場介護士に聞き取りもなかったので、話半分で盛ったであろう要介護度は本人の状態と合ってなかった。

暴力行為・迷惑行為を「介護だから」と容認する。

最低なところでは、利用者さんに面と向かってクサイ・キタナイと怒鳴りつける所もあった。

私も、あんな人と人の介護がしたかった。

 

いったん切ります。夕飯作ってきます。今日は唐揚げです。

フランス、楽しかったです。良い経験をさせていただきました。

ただ帰国後まもなく起こったテロ的なアレコレにはキモが冷えました。

 

ではまた(´・ω・`)